日本製紙(株)『日本製紙株式会社十五年史』(1933.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
9月27日 荒玉水道町村組合、水道消火栓設置。
10月4日 新株式第三回払込完了。
10月31日 本年十二月一日より、製紙聯合会が、各社各機械一挙に、三割五分の製産制限を実行することに協定成立。
12月3日 消防規則を定め、災害に対する設備完成。
12月23日 第二十五回定時株主総会を中央土地建物株式会社に開く。
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
3月15日 予而工事中の小豆沢境道路改良工事竣功。
6月23日 第二十六回定時株主総会を中央土地建物株式会社に開く。
10月14日 原料室木造床を、鉄筋「コンクリート」に変更工事竣成。
12月16日 改築新事務所本日竣功、仮事務所より移転。
12月23日 第二十七回定時株主総会を当社に開く。
昭和7年(1932) - 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 渋沢関係略年譜
3月6日 在来鉄製煙突を鉄筋「コンクリート」煙突に改築完成
5月4日 職工の名称を廃し、工手と改む。
5月30日 「ランカシャー」型汽缶一基新設竣功。
6月23日 第二十八回定時株主総会を当社に開き、監査役任期満了に付改選を行ひ、左記の通り当選就任。//岡本秀三 三樹退三
9月27日 支配人花岡俊夫氏辞任退社
10月1日 当会社所在地東京市へ編入。町名番地左の通り変更。//東京市王子区袋町一丁目弐千五十番地
12月23日 第二十九回定時株主総会を当社に開き、定款の一部を変更し、取締役会長を社長と改め、従来の取締役会長石川正作氏、社長就任。
12月29日 第三号抄紙機ウエットパートを株式会社旭鉄工所、ドライヤーパート、キャレンダーを戸畑鋳物株式会社へリーラー、カッターを株式会社南千住製作所へ註文す。
昭和8年(1933) - 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 渋沢関係略年譜
2月10日 第二抄紙室新築工事を三井物産株式会社に委託す。
3月26日 第二抄紙室新築敷地、地鎮祭挙行。
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