※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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1926年 | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | (この年)米国、ベアード、機械式テレビの実験に成功 | 科学技術・ヒット商品 | |
- | (この年)米国、ディスク式部分トーキー映画初公開 | 科学技術・ヒット商品 | |
- | (この年)英国、万国規格統一協会(ISA)発足 | 科学技術・ヒット商品 | |
- | (この年)米国、ゴダード、初めて液体燃料ロケットを打ち上げる。 | 科学技術・ヒット商品 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 日銀、金融界不安一掃のため非常貸出方決定 | ||
4月 | 徴兵令を改め、兵役法公布 | ||
4月 | 田中義一内閣成立 | ||
10月 | <直江津>操業を開始 製品=石灰窒素(年産4万トン目標)、カーバイド、黒鉛電極 | ||
10月 | <直江津>工場長=岩橋勇氏(前日本窒素水俣工場長)//従業員=約600人 | ||
- | 米国製和文印刷電信機を採用。(東京~大阪間に開通) | 科学技術・ヒット商品 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 社長=野口遵氏 | ||
4月 | ロンドン軍縮会議で日英米3国条約調印 | ||
7月 | 社長=名取和作氏 | ||
- | 東京・ロンドン・ワシントンを結ぶ、3国交換放送開始。 | 科学技術・ヒット商品 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 若槻礼次郎内閣成立 | ||
5月 | 社長=小坂順造氏//経営立て直しに着手(役員入れ替え、日本窒素側所有株式を買い取り資本一本化など)//本社を東京・丸の内に移転 | ||
8月 | <直江津>第1号電炉をゼーダーベルグ式に | ||
9月 | 満州事変起こる | ||
12月 | <直江津>工場の操業休止を声明(経済不況深刻化と経営不振のため) | ||
12月 | <親不知>採石場の操業を休止 |