信越化学工業(株)『未来への軌跡 : 昭和とともに60年』(1986.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和15年(1940) - 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 渋沢関係略年譜
3月23日 社名を「信越化学工業(株)」と改称
3月 1,000万円に増資
7月 第2次近衛文麿内閣成立
9月 日独伊3国軍事同盟
10月 <直江津>工場長=小坂善太郎氏
10月 親不知採石場を「親不知出張所」と改称
10月 <親不知>出張所長=裏田繁次郎氏
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
1月 「朝鮮重化学工業(株)」を設立 資本金=500万円 社長=小坂順造氏(兼任)[註・(兼任)標記は、年表掲載の他会社等の同職に既に就任中であることを印すものである] 工場=鎮南浦 製品=金属マグネシウム(年産能力1,200トン)
4月 <直江津>マンガン鉄の製造を開始
4月 生活必需物資統制令公布
4月 日ソ中立条約調印
4月 小学校にかわり国民学校発足
6月 ドイツ、ソ連に宣戦する
7月 第3次近衛文麿内閣成立
10月 東条英機内閣成立
12月 副社長=今井文平氏
12月 米・英に対し宣戦布告
- 国産初のカラーフィルムを発売。 科学技術・ヒット商品
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
1月 日独伊新軍事協定締結
8月 朝鮮重化学工業を三菱化成工業に譲渡
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