※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 電力消費制限実施 | ||
12月 | <磯部>金属試験所長=石塚俊三氏 | ||
- | <直江津>カルシウムシリコンの製造を開始 | ||
- | シカゴでウラニウム原子核分裂による連鎖反応の実験に成功 | 科学技術・ヒット商品 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 野口遵氏逝去(「日本窒素肥料」社長・「信越窒素肥料」元社長)72歳 | ||
1月 | <直江津>工場長=久保田才次郎氏 | ||
4月 | 当社、軍需省令により軍需会社に指定 | ||
8月 | 学徒勤労令・女子挺身隊勤労令公布 | ||
10月 | 大同化学工業(株)武生工場の合金部門を受託経営 | ||
12月 | 2,000万円に増資 | ||
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | ヤルタ会談 | ||
4月 | 米国、トルーマンが大統領に就任 | ||
4月 | 鈴木貫太郎内閣成立 | ||
5月 | 大同化学武生工場を吸収合併 | ||
5月 | <武生>工場長=笹川正美氏 | ||
5月 | 2,250万円に増資 | ||
5月 | ドイツ無条件降伏 | ||
7月 | <武生>信越化学武生工場として認可 | ||
8月 | ポツダム宣言受諾。東久邇稔彦内閣成立 | ||
9月 | 小田切盤太郎氏逝去(「信越窒素肥料」初代副社長)77歳 |