住友化学工業(株)『住友化学工業株式会社史』(1981.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
8月21日 鉛室硫酸設備(一号)完成 当社関係
9月 過燐酸石灰・配合肥料製造開始 当社関係
10月4日 営業開始、過燐酸石灰初出荷 当社関係
10月25日 尾崎虎雄、尾崎染料製造所を設立 当社関係
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
2月25日 日本染料製造(株)設立(資本金八○○万円、社長中谷弘吉、本社東京) 当社関係
8月 硫酸煮詰設備完成 当社関係
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
3月21日 塔式硫酸設備(四号)完成 当社関係
4月 硝酸設備完成(昭3年廃棄) 当社関係
8月 日染、色素工場完成 当社関係
9月 総本店、三共と共同で硫安のハーバー-ボッシュ法専用権払下げ出願 当社関係
12月 鈴木総理事、ハーバー-ボッシュ法による硫安製造会社共同設立計画を業界に提案、住友その推進者となる 当社関係
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
1月17日 日染、本社を東京から大阪市西区川口町へ移転、旧本社跡に東京出張所開設 当社関係
7月10日 総本店理事湯川寛吉、硫安問題で米国へ出張 当社関係
11月6日 日染本社、春日出町一九九番地の工場内へ移転 当社関係
- 日染、上期より染料の本格製造 当社関係
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
2月15日 土佐吉野川水力電気(株)設立(住友共同電力(株)の前身) 当社関係
3月 鈴木、米・欧視察に出発 当社関係
10月 鈴木とバディッシェ社ボッシュ社長との交渉不調 当社関係
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月 鈴木帰国、硫安共同事業推進に努む 当社関係
3月 鈴木、恐慌発生で硫安共同事業計画を断念 当社関係
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