住友化学工業(株)『住友化学工業株式会社史』(1981.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
- 日染、ナフトール染料顕色剤製造開始 当社関係
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
3月2日 住友吉左衛門友純没 当社関係
3月9日 厚、吉左衛門友成と改名、十六代を継ぐ 当社関係
5月2日 本店、新築の住友ビルに移転 当社関係
7月9日 日染、池田社長辞任 当社関係
7月15日 工員停年制制定(昭4・7・1実施) 当社関係
8月5日 日染、稲畑勝太郎社長就任 当社関係
8月7日 煙害問題発生(昭3年9月解決) 当社関係
9月1日 日染、日染会結成 当社関係
- 日染、ナフトール染料下漬剤製造開始 当社関係
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
3月15日 金融恐慌発生 当社関係
7月1日 別子鉱業所、住友別子鉱山(株)に改組 当社関係
7月1日 土佐吉野川水力電気、住友別子鉱山所有の電気設備を譲り受け事業開始 当社関係
9月 鉛室硫酸設備(七号)完成、硫酸設備七基となる 当社関係
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
3月 支配人矢崎摠治ら、NEC(米)式アンモニア製造法調査のため渡米(6月帰国) 当社関係
7月10日 鉱山、新居浜築港計画を愛媛県に申請(5・9・.6認可) 当社関係
10月10日 NECとアンモニア技術導入契約 当社関係
11月22日 臨時窒素工場建設部設置 当社関係
11月 日高常務、窒素工場機械購入のため米欧に出張 当社関係
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
4月23日 日染、一〇〇万円減資、資本金七〇〇万円とす 当社関係
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