※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 鉛室硫酸設備(五号)完成 | 当社関係 | |
- | 住友伸銅所、ジュラルミン製造開始 | 当社関係 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
2月26日 | 総本店、住友合資会社と改組、資本金一億五〇〇〇万円、住友合資会社肥料製造所と改称 | 当社関係 | |
2月 | 硫酸設備五基中二基に操短 | 当社関係 | |
4月 | 東洋窒素工業組合設立 | 当社関係 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月5日 | 鈴木総理事辞任、中田錦吉就任 | 当社関係 | |
- | 日染、ディープブラック三〇〇%発売 | 当社関係 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月1日 | 関東大震災により東京肥料蔵置所倒壊(13年3月深川区佐賀町に再建) | 当社関係 | |
9月1日 | 日染東京出張所焼失(13年6月伊勢町に再建) | 当社関係 | |
10月23日 | 日染、中谷社長逝去 | 当社関係 | |
11月30日 | 日染、池田十三郎社長就任 | 当社関係 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
10月28日 | 職員停年制制定(14・10・1実施) | 当社関係 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
3月30日 | 染料製造奨励法公布(10月15日施行) | 当社関係 | |
6月1日 | (株)住友肥料製造所に改組、資本金三〇〇万円、小倉正恒会長、梶浦鎌次郎常務就任 | 当社関係 | |
6月3日 | 本店を新居浜から大阪市東区北浜五丁目へ移転 | 当社関係 | |
10月1日 | 梶浦常務辞任、日高直次就任 | 当社関係 | |
10月1日 | 合資会社中田総理事辞任、湯川寛吉就任 | 当社関係 | |
10月1日 | 開業一〇周年記念祝宴挙行(大阪・新居浜) | 当社関係 | |
10月14日 | 染料医薬品製造奨励法補助期間満了 | 当社関係 | |
12月11日 | 別子労働組合ストライキ突入(15・2・15終結) | 当社関係 |