住友化学工業(株)『住友化学工業株式会社史』(1981.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
11月 鉛室硫酸設備(五号)完成 当社関係
- 住友伸銅所、ジュラルミン製造開始 当社関係
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
2月26日 総本店、住友合資会社と改組、資本金一億五〇〇〇万円、住友合資会社肥料製造所と改称 当社関係
2月 硫酸設備五基中二基に操短 当社関係
4月 東洋窒素工業組合設立 当社関係
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
12月5日 鈴木総理事辞任、中田錦吉就任 当社関係
- 日染、ディープブラック三〇〇%発売 当社関係
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
9月1日 関東大震災により東京肥料蔵置所倒壊(13年3月深川区佐賀町に再建) 当社関係
9月1日 日染東京出張所焼失(13年6月伊勢町に再建) 当社関係
10月23日 日染、中谷社長逝去 当社関係
11月30日 日染、池田十三郎社長就任 当社関係
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
10月28日 職員停年制制定(14・10・1実施) 当社関係
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
3月30日 染料製造奨励法公布(10月15日施行) 当社関係
6月1日 (株)住友肥料製造所に改組、資本金三〇〇万円、小倉正恒会長、梶浦鎌次郎常務就任 当社関係
6月3日 本店を新居浜から大阪市東区北浜五丁目へ移転 当社関係
10月1日 梶浦常務辞任、日高直次就任 当社関係
10月1日 合資会社中田総理事辞任、湯川寛吉就任 当社関係
10月1日 開業一〇周年記念祝宴挙行(大阪・新居浜) 当社関係
10月14日 染料医薬品製造奨励法補助期間満了 当社関係
12月11日 別子労働組合ストライキ突入(15・2・15終結) 当社関係
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