大日本セルロイド(株)『大日本セルロイド株式会社史』(1952.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
6月15日 再び神崎工場空襲により被害 会社年表
6月26日 △国際連合憲章発表 会社年表
7月10日 再び堺工場空襲 会社年表
7月17日 △米・英・ソの巨頭ポッダム会談 会社年表
8月8日 △ソ聯対日宣戦布告 会社年表
8月10日 東京方面空襲により東京工場一部倒壊及び焼失 会社年表
8月15日 △太平洋戦争終結の詔書渙発さる。当社工場軍需会社指定解除 会社年表
9月1日 △東京湾内米戦艦ミズリー号上にて降伏文書調印 会社年表
9月20日 △ポッダム宣言受諾勅令公布 会社年表
9月21日 △七・七禁令廃止 会社年表
9月 (末日)天津工場に於てタンニン剤製造を開始 会社年表
10月22日 天津工場、天津市政府党接収委員会により接収、ついで石門分工場、新郷分工場も、中国側に接収さる 会社年表
11月13日 △賠償使節団々長ポーレー大使来朝 会社年表
11月20日 終戦に伴ひ戦争保険金政府補償金並に外地資産未決のため下半期決算延期を決議、大和厚生組合設立を決議、産業設備営団と新井工場ブタノール製造設備貸与契約締結を決議 会社年表
12月20日 △国家総動員法廃止 会社年表
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
2月25日 △新旧円交換 会社年表
2月28日 △公職追放令公布 会社年表
3月1日 大阪営業所を再開 会社年表
3月3日 △物価統制令施行 会社年表
4月5日 △第一回対日理事会開催 会社年表
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