※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月30日 | 苫小牧工場を高島菊次郎氏外二氏へ譲渡す。 | 年譜 | |
7月3日 | 青海工場に於いて石灰窒素の製造を開始す。 | 年譜 | |
7月29日 | 平和記念東京博覧会出品の製品に対し名誉賞牌を授与せらる。 | 年譜 | |
8月8日 | 青海工場に於いて硫安の製造を開始す。 | 年譜 | |
11月3日 | ゼーダーベルグ式自焼電極の特許権を三井物産会社を経由して買収契約を締結す。 | 年譜 | |
12月1日 | 大正九年十二月一日発行の社債金五百万円を償還す。 | 年譜 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 新株第二回株金払込、一株に付金五円宛徴収す。 | 年譜 | |
3月5日 | 逓信大臣より電力及び電灯供給の件許可を受く。 | 年譜 | |
5月10日 | 第三回発明品博覧会への出品に対し大賞を授与せらる。 | 年譜 | |
6月26日 | 監査役に竹原荘次郎氏新任す。 | 年譜 | |
9月1日 | 新株式第三回株金払込、一株に付金拾弐円五拾銭宛徴収す。関東大震災により本店類焼す。 | 年譜 | |
10月12日 | 本店を東京市麹町区永楽町二の一、工業倶楽部に移転す。 | 年譜 | |
11月5日 | 糸魚川農事試験所を閉鎖す。 | 年譜 | |
12月1日 | 社債金五百万円を発行す。 | 年譜 | |
12月6日 | 経理課大阪出張員を三井物産株式会社大阪支店内に置く。 | 年譜 | |
12月25日 | 大所川発電所竣工す。 | 年譜 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
12月23日 | 取締役に高橋利喬氏、近藤鉄次氏新任す。 | 年譜 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 新株式第四回株金払込、一株に付金拾円宛を徴収す。 | 年譜 | |
2月15日 | 本店を東京市京橋区北槇町一八、日米ビルデイングに移転す。 | 年譜 | |
3月9日 | 青海工場所属の物件を以て工場財団を設定す。 | 年譜 |