※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 本店を東京市麹町区有楽町一の十、三信ビルデイングへ移転す。 | 年譜 | |
1月10日 | 大牟田工場一五、〇〇〇キロ電炉の操業開始す。 | 年譜 | |
5月14日 | 専務取締役田中治朗氏辞任す。 | 年譜 | |
5月31日 | 株式会社青海軌道商会を創立す。 | 年譜 | |
7月5日 | 伏木工場の操業を休止す。 | 年譜 | |
9月15日 | 大淀川第二発電所竣工、発電開始す。 | 年譜 | |
11月29日 | 監査役中上川次郎吉氏辞任す。 | 年譜 | |
12月26日 | 取締役植村澄三郎氏辞任す。取締役に羽村協輔氏、監査役に植村澄三郎氏新任す。 | 年譜 | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月24日 | 宮崎県知事より大淀川発電所を大淀川水力電気株式会社へ譲渡の件許可を受く。 | 年譜 | |
8月29日 | 販売課三池出張員を廃す。販売課門司出張員及び名古屋出張員を夫々三井物産株式会社支店内に置く。 | 年譜 | |
9月23日 | 当社と日本海電気株式会社と相互に発電所を出資して黒部川電力会社設立に付各種の契約及び覚書に調印す。 | 年譜 | |
10月1日 | 信越窒素肥料株式会社直江津工場内に出張所を開設す。 | 年譜 | |
11月30日 | 監査役原邦造氏辞任す。 | 年譜 | |
11月30日 | 黒川福三郎氏取締役を辞任し監査役に新任す。 | 年譜 | |
12月26日 | 取締役に小林正直氏新任す。 | 年譜 | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 青海工場に於いてDA及びソクシライトの製造を開始す。 | 年譜 | |
5月15日 | 黒部川電力株式会社の増資に際し、当会社の大所川発電所及び小滝川発電所を現物出資し、同社の経営に参画することとなり当会社より専務取締役に神吉英三氏、取締役に小林正直氏、近藤鉄次氏、羽村協輔氏、監役査に岡田光治氏、相談役に藤原銀次郎氏就任す。 | 年譜 | |
5月27日 | 逓信大臣より大所川発電所及び小滝川発電所を黒部川電力株式会社へ譲渡の件許可を受く。 | 年譜 | |
6月26日 | 取締役会長藤原銀次郎氏、取締役牧田環氏田中治朗氏辞任す。社長に小林正直氏、専務取締役に近藤鉄次氏、常務取締役に日比勝治氏新任す。相談役に藤原銀次郎氏、牧田環氏新任す。 | 年譜 | |
9月1日 | 新株式第二回株金払込、一株付金拾弐円五拾銭宛を徴収す。 | 年譜 |