日産化学工業(株)『八十年史』(1969.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
4月 専売特許条例公布 社史本編//社会一般
5月 日本銀行、初めて兌換銀行券を発行(銀本位制) 社史本編//社会一般
11月 大阪造幣局、硫酸、およびソーダ製造設備を日本製薬に貸与、同社は硫曹製造会社に転貸 社史本編//化学工業一般
12月 太政官制度を廃止、内閣制度をおく 工部省廃止 社史本編//社会一般
- 大蔵省印刷局抄紙部王子製薬工場、西川虎之助、隈本清幸らの設計で鉛室2個、ゲーリュサック塔、グラバー塔各1基を建設 社史本編//化学工業一般
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
1月 北海道庁をおく、ハワイと渡航条約を調印 社史本編//社会一般
5月 「東京横浜毎日新聞」を「毎日新聞」と改題 社史本編//社会一般
- 硫酸製造会社大阪工場、高峰の持帰った燐鉱石で初めて過燐酸石灰をつくる 社史本編//化学工業一般
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
1月 東京電灯会社市内配電開始 社史本編//社会一般
2月28日 (東京人肥)高峰、渋沢栄一、益田孝に勧めて、過燐酸石灰企業化のため、東京人造肥料会社創立に関する株主の臨時会議を開催、資本金25万円(うち払込10万円) 社史本編//日産化学
3月 (東京人肥)益田、高峰、肥料製造機械および原料購入のため洋行、11月帰国 社史本編//日産化学
4月27日 (東京人肥)東京府、東京人造肥料会社設立を認可 社史本編//日産化学
4月 鹿鳴館で仮装舞踏会 社史本編//社会一般
5月 博愛社を日本赤十字社と改称 社史本編//社会一般
6月 憲法の起草開始 社史本編//社会一般
12月 (東京人肥)工場建設は水利の便を考え、東京府南葛飾郡大島村字大島甲14号を選ぶ 社史本編//日産化学
12月 東京手形交換所設立 社史本編//社会一般
- 別子銅山、山根製錬場、硫化鉱の焙焼から生ずる廃ガスを利用して硫酸を製造 社史本編//化学工業一般
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
2月 (末)(東京人肥)米国から注文の機械類漸次到着 社史本編//日産化学
4月10日 日本石油会社創立 社史本編//社会一般
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