※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
4月22日 | 治安維持法公布(5月12日施行) | 一般事項 | |
5月5日 | 普通選挙法公布 | 一般事項 | |
5月12日 | 大阪工場新設(大阪市西区平尾町92)、酸素製造を開始(単精溜式35m3/h) | 当社事項 | |
9月29日 | 小倉工場に、広島工場の10m3/h酸素製造装置を移設 | 当社事項 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 第1次若槻内閣成立 | 一般事項 | |
6月16日 | 取締役藤崎三郎助(初代)死去 | 当社事項 | |
7月3日 | 本社社屋本建築のため、仮移転(東京市麹町区八重洲町1-1) | 当社事項 | |
12月25日 | 大正天皇崩御 | 一般事項 | |
昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月25日 | 摂政宮裕仁親王践祚、「昭和」と改元 | 一般事項 | |
12月27日 | 大崎工場での液化酸素製造貯蔵許可 | 当社事項 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 金融恐慌起こる | 一般事項 | |
4月20日 | 田中内閣成立 | 一般事項 | |
11月27日 | 本社新社屋竣工により、八重洲町から移転(東京市京橋区銀座3-20) | 当社事項 | |
12月30日 | 東京地下鉄、上野~浅草間開通 | 一般事項 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月20日 | 第1回普通選挙実施 | 一般事項 | |
5月24日 | 日本商工会議所設立 | 一般事項 | |
6月4日 | 張作霖爆死 | 一般事項 | |
8月9日 | ハイラント社製50m3/h複精溜式酸素分離器3基および30m3/h複精溜式酸素製造装置一式を磯村合名会社に発注(亀戸、名古屋、大阪、小倉各工場引当用) | 当社事項 | |
9月 | 米価暴騰 | 一般事項 | |
10月8日 | 蒋介石、中華民国国民政府主席に就任 | 一般事項 |