※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月15日 | ドイツ人ゴットフリード・ワグネル来日(38歳) | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
6月29日 | 舎密(セイミ)局を大阪におく | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 明治と改元、一世一元の制を定む | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
11月19日 | 築地ホテル館開業(着工慶応3年7月、設計・ジェンス外事作事方、施工・清水店)、木部緑色ペンキ塗 | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
- | わが国最初の鉄橋くろがね橋架橋 | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月28日 | 東京遷都 | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
11月16日 | スエズ運河開通 | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
- | 横須賀造船所に塗粧職工教育学校設けらる、わが国最初の塗装工員養成所 | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
- | 海軍に塗装管理者として海軍塗師を置く(のち海軍塗工長と改称、中川平吉ものち塗工長となる) | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
- | 大沢源太郎、外国船のペンキ作業を見て塗装業を志す | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月19日 | 政府、鉄道掛設置 | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
4月28日 | 茂木春太、慶応義塾(芝新銭座にあり)に入門(22歳) | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
10月20日 | 工部省設置 | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
12月8日 | 横浜毎日新聞発刊(最初の日刊紙) | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 慶応義塾、芝三田に移る | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
3月 | 田坂初太郎(当社初代社長)出郷、神戸で廻漕会社に就職 | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
5月10日 | 新貨条例公布、1円を単位とする | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
8月 | 横浜毎日新聞に初めて「ペンキ」という用語が出る―御国商人積出荷物・ペンキ4缶― | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月2日 | フレーソル社(48番館)黒青白ペンキの入荷を広告 | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 | |
2月21日 | 東京日日新聞発刊 | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 |