日本ペイント(株)『日本ペイント百年史』(1982.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
- 茂木重次郎、上京(14歳) 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
1月14日 開成学校製作学教場の教則編定始まる 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
2月 茂木重次郎、藤田家(奈良県士族)襲名 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
2月 藤田重次郎、慶応義塾に入る 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
3月12日 開成学校製作学教場開講 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
3月26日 立野粂太(後の光明社出資者の一人)、東京開成学校物理学手伝に採用される(3男樹久太は後、茂木重次郎の養子となる) 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
3月27日 東京司薬場(薬品類公式検査機関)開設 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
5月7日 開成学校を東京開成学校と改称 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
9月24日 大沢塗装店、東京ニコライ堂第1期工事に初仕事として参与 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
9月26日 海軍兵器製造所設立 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
9月 茂木春太、製作学教場に「手伝」(給料7円)として奉職 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
3月15日 工部省赤羽工作分局、不溶白煉化石の生産再開 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
3月 仲万兵衛(熊野屋)薬種商として自立 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
5月12日 横浜毎日新聞に安全火留メ石炭油とペンキ油の広告出る 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
9月21日 ドイツ人ワグネルを内務省勧業寮と共庸し製作学教授とす 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
9月 田村典瑞、東京開成学校製作学教場製練科一級に入る(後年光明社への出資者の一人) 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
10月7日 宮川保全、東京女子師範学校算術教授掛として奉職 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
11月18日 中村敬宇、東京女子師範学校摂理(校長)となる 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
11月 横浜海岸の三番商会「ペンキ類」の販売を広告 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
12月22日 小畑源之助誕生(兵庫県出石郡) 当社創業前の明治元年~明治13年の年表
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