※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
嘉永元年(1848) | - | 【渋沢栄一】このころ実名を美雄とする。後に伯父渋沢誠室の命名で栄一と改める。〔8歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 英国人・ヘイ、船底塗料研究 | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 | |
嘉永2年(1849) | 11月 | 茂木重次郎の兄茂木春太(化学者)生まる(父・大和郡山藩士茂木亭左衛門道一) | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 |
嘉永3年(1850) | - | 江川太郎左衛門(英竜)、韮山に反射炉築く | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 |
- | 米国にて酸化亜鉛(亜鉛華)の直接法(サミエルティ・ジョーン法)始まる | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 | |
嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月3日 | アメリカ東インド艦隊長官ペリー、軍艦4隻を率いて浦賀沖に来航 | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 | |
安政元年(1854) | 1月 | ペリー神奈川沖に再来の時、乗員が横浜本牧海岸通称八王寺鼻下の岩面に白ペンキで落書したことが「かわら」版に大事件として報道された。日本最初のペンキ落書 | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 |
7月11日 | 佐賀藩海軍史の同日付に「商買船積渡候6間余りの小蒸気船は近々乗試可有之と只今油塗取掛と相成居......」とあり、文献上の油性塗装用語の初出典 | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 | |
7月 | 幕府、長崎に海軍伝習所を設ける | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 | |
- | 英国人・パークス、ニトロセルロースを塗料として使用 | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 | |
安政3年(1856) | - | 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 英国人・パーキン、染料モーブを合成 | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 | |
安政6年(1859) | 2月23日 | 茂木重次郎、大和郡山(奈良県)に生まる | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 |
7月4日 | 神奈川本覚寺内にアメリカ領事館開設さる | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 | |
8月10日 | 町田辰五郎、小普請奉行遠山隼人正よりペンキ材料購入特に許さる | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 | |
- | 渋職町田辰五郎、米艦アンダリア号よりペンキを入手し、初めて洋塗装をなす | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 | |
万延元年(1860) | 1月13日 | 勝安芳ら、咸臨丸で米国に向かう(ドライペイント積み込みの記録あり) | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 英国人・リス、ペンキ塗り請負業を横浜で開く | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 | |
- | 横須賀造船所建設 | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 | |
- | 横須賀造船所建設に当たり塗師所開設、わが国最初の塗装工場 | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 茂木春太、東京留学 | 明治以前の塗料塗装関係及び一般事項 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月3日 | 鳥羽伏見の戦い | 当社創業前の明治元年~明治13年の年表 |