長谷川香料(株)『長谷川香料八十年史』(1985.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
1630年 - [1630年ごろ] パリは生活用水が少ないため風呂代も高いので、入浴回数が少ない。そのため体臭がひどい。さらにガーリックをよく食べる。現在でもガーリックの一人当りの消費量の多い国民はフランス人である。そのため体臭を消すために、いい香りの入ったパウダーを体につけることが流行った。このパウダーははじめは大人用であったが、やがて赤ん坊のベビーパウダーとして需要が増えていった。 香料関連
- ビールは発泡酒のため、栓がはじけてビン詰めにするのは不可能と思われていたが、コルクの栓が実用化され、ビン詰めのビールが現われた。高価であったが社交界でのパーティで歓迎された。 香料関連
1637年 - フランスからイギリスへ大量にコーヒーが輸出され、ロンドンの一般市民の間にもコーヒーが普及した。イギリス人は紅茶好きで有名だが、現在ではコーヒー七〇%、紅茶三〇%の割で、コーヒー党の方が圧倒的に多い。 香料関連
1660年 - [1660年ごろ] あるオランダ人が、コーヒーに間違えてミルクを入れてしまったが、飲んでみると大変マイルドで飲みやすかった。これ以後、コーヒーにミルクを入れることが急速に広まった。 香料関連
1666年 - ロンドンが大火にあい、その出火原因がタバコの不始末から、ということで、イギリスではしばらくの間、カギ煙草がはやった。が、喉元過ぎれば熱さを忘れるで、すぐ喫煙の習慣は復活してしまった。 香料関連
1689年 - 日本橋本町に薬種問屋の『座』が生れた。また、一七一五年には本町三丁目の「薬種問屋仲間」が公許された 香料関連
1700年 - [1700年ごろ] イタリヤ系のファリナ兄弟がドイツのケルンに移り住み、小間物雑貨商を営んでいたが、業績を伸ばすために、その頃一般の人々にぽっぽっ使われだしていたコーディアル水に目をつけ、アクア・アドミラビスという独得の液体香料をつくって売出したところ、大好評を博した。この香料(香水)の人気の秘密はアルコールが含まれていたため、アルコールの揮発性が身体に爽快感を与えたことによる。一七五六年の七年戦争の折、フランス軍がケルンに駐留し、この香水を知り、フランスに持ちかえり、ケルンの水、即ち、オーデコロンと呼んで愛用した、ということになっているが、これには諸説あって、今のところ定説はない。なお、三〇度のブランデーに、ベルガモット油、レモン油、セドラ油、ラベンダー油、薄荷油、丁子油などを混合してつくられたものだが、この処方についても説がまちまちである。もっとも、オーデコロンは一種類だけつくられていたわけではないので、それは当然であろう。 香料関連
- 年々増え続けるコーヒー需要に生産が追いつかなくなり、オランダは、インドネシアへコーヒー園をつくろうと、インドネシアでのコーヒーの栽培を研究していたが、この年に成功した。 香料関連
1747年 - それまでは家畜の飼料に栽培されてた甜菜(テンサイ)から砂糖をとることが発明され、砂塘業界に一大センセーションをまきおこした。 香料関連
1756年 - スペインで卵黄と食用油と酢を混ぜぺ合せたソースがつくられた。即ち、マヨネーズである。このソースは、栄養面からみても野菜サラダに合うことから、全世界に普及した。 香料関連
1770年 - [1770年ごろ] フランスの料理人が、ミルクと卵黄と砂糖を混ぜたものを、氷室で貯えておいた氷で冷却し、冷菓をつくり、デザートに出した。アイスクリームの原点である。その後、アイスクリームは種々研究され、アイスクリームにはバニラの匂いが一番似合うことからバニラアイスクリームが主流になる。ちなみにアメリカでは、国家がアイスクリームの日を制定している。 香料関連
1800年 - [1800年ごろ] ロシアの皮革製品は、香ばしい匂いがして、ヨーロッパで人気があったが、その香り付けのもとがなになのかは、ロシヤ政府が秘密にしていて、長いことわからなかった。そのもとが、白樺の木と樹皮を蒸留して作ったバーチタール(白樺油)であることがわかったのは後年のこと。ロシアの秘密主義は当時からのものらしい。 香料関連
1812年 - イギリスのデュランが、ブリキの缶に食料を詰め、加熱して長期存保[保存]する方法を発明して、特許をとった。即ち、缶詰である。この食品保存法は、それから一七〇年以上たった今日でも重宝されている。 香料関連
1828年 - オランダの世界的な製菓メーカー、バン・ホーテンは、カカオ豆から脂肪分を抜き、飲みものとしてのココアの商品化に成功した。 香料関連
1853年 - 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 渋沢関係略年譜
- ペルリ提督が来航したとき、レモン水(ラムネ)を持参し、幕府の役人にご馳走した。長崎の商人藤瀬半兵衛が炭酸飲料を「レモン水」と名付けて製造販売したのが日本での元祖といわれている(一八六五年) 香料関連
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
- ハイラム・コットが、玉栓のラムネ壜を発明、特許をとる。一八九二年、王冠栓が発明され、炭酸飲料が飛躍的に伸びる。 香料関連
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
- 米津風月堂が初めてビスケットをつくって、売り出す。一八七七年の第一回内国勧業博覧会で、そのビスケットが出品され、銀賞を受賞した。 香料関連
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
2月 ライト兄弟、飛行機発明 一般
4月 小学校の教科書国定化決定 一般
5月1日 長谷川藤太郎 日本橋で長谷川藤太郎商店創業 当社
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