三共(株)『三共六十年史』(1960.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
7月10日 高峰研究所を生産部高峰研究所と改称 社内の主要記事〔株式会社時代〕
7月 軍の要請により当社員簾藤万治、小川政一を南方に派遣し、医薬品の配給ならびに工場建設地調査(同[昭和]十九年四月帰社) 社内の主要記事〔株式会社時代〕
9月20日 元学術顧問鈴木梅太郎逝去 社内の主要記事〔株式会社時代〕
9月 スマトラパダンに事務所、スマトラメダンに出張所開設、医、農薬品生産 社内の主要記事〔株式会社時代〕
9月 大阪市都島区中野町三丁目九番地に大阪工場独身寮桜の宮寮開設 社内の主要記事〔株式会社時代〕
9月 イタリア無条件降伏 内外事情
11月 新農薬休刊 社内の主要記事〔株式会社時代〕
11月 軍需会社法施行 内外事情
12月 北ボルネオ派遣中の西村関太帰社 社内の主要記事〔株式会社時代〕
- 医科器械部廃止 社内の主要記事〔株式会社時代〕
- 東京に都制しかる 内外事情
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
1月 満州三共株式会社常務取締役矢野重弘辞任 社内の主要記事〔株式会社時代〕
1月 医薬品統制株式会社設立 内外事情
2月 江口次郎満州三共株式会社常務取締役就任 社内の主要記事〔株式会社時代〕
3月 品川工場は陸軍衛生材料廠、獣医資材本廠、糧秣本廠、海軍療品廠等の管理工場となる 社内の主要記事〔株式会社時代〕
4月 南方関係統制のため本社内に南方事業部を設置 社内の主要記事〔株式会社時代〕
5月16日 元取締役大橋新太郎逝去 社内の主要記事〔株式会社時代〕
5月 マライ、クァランプールに事業所ならびに工場開設。医薬品生産 社内の主要記事〔株式会社時代〕
5月 満州撫順に満州三共株式会社撫順工場設立。主として農薬を生産 社内の主要記事〔株式会社時代〕
6月 上海南京路に中支三共株式会社(資本金五〇万弗、社長荻野虎一)設立、巨福路に工場を設け医薬品生産 社内の主要記事〔株式会社時代〕
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