三共(株)『三共六十年史』(1960.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治27年(1894) - 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
- 在米高峰譲吉は麹菌より強力消化素タカヂアスターゼを発見し特許獲得に成功 社内の主要記事
- 日清戦争勃発 内外事情
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
11月 横浜市弁天通一丁目一番地絹織物売込商横浜刺繍株式会社支配人塩原又策は友人緑茶輸出業者西村庄太郎に日本に適する新企業を米国方面にて注視方を依頼す 社内の主要記事
- 米国パーク・デービス社は高峰博士よりタカヂアスターゼの日本を除く世界各国の販売権を得て発売を開始 社内の主要記事
- 志賀潔博士赤痢菌発見 内外事情
- 北里柴三郎博士コレラ血清完成 内外事情
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
4月 西村庄太郎は米国シカゴ駐在日本領事能勢辰五郎の招宴に臨み高峰譲吉博士発見のタカヂアスターゼを知り高峰博士を訪問してその試売を塩原又策に依嘱方を懇請し承諾を得て帰国 社内の主要記事
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
3月1日 塩原又策は友人西村庄太郎、福井源次郎と共に各千円ずつ出資、資本金三千円の匿名合資の三共商店を設立 社内の主要記事〔商店時代〕
3月1日 塩原又策は横浜市弁天通一丁目一番地絹織物売込商横浜刺繍株式会社内の一室を借用、自ら本務の傍ら三共商店の店主となって実務に当りタカヂアスターゼの輸入試売を開始、これが三共の発端 社内の主要記事〔商店時代〕
6月 旧商法施行 内外事情
- ハーグ万国平和会議開催 内外事情
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
5月 北清事変勃発 内外事情
- 出資者西村庄太郎、福井源次郎は後事を塩原に一任して脱退。塩原又策専業となる 社内の主要記事〔商店時代〕
- 高峰譲吉博士(協力者上中啓三)は副腎の有効成分アドレナリン結晶の抽出に成功 社内の主要記事〔商店時代〕
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
- 在米高峰博士は米国ジョンスホプキンス大学にてアドレナリンの単離研究を発表し絶賛を受く 社内の主要記事〔商店時代〕
- ノーベル賞(物理、化学医学、文学、平和)制定 内外事情
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
1月 日英同盟条約締結 内外事情
- 東京市日本橋区南茅場町に店舗を開設移転、三共商店薬品部と称す 社内の主要記事〔商店時代〕
- 在米高峰博士来日、塩原又策は同博士より正式にタカヂアスターゼ日本販売権許諾を得 社内の主要記事〔商店時代〕
- 同[高峰]博士発見の塩化アドレナリンを塩化アドリナリンと称して輸入発売 社内の主要記事〔商店時代〕
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