塩野義製薬(株)『シオノギ100年』([1978])

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
- 10.相生町作業場でつくられた塩野義新薬第1号制酸剤「アンタチヂン」が発売されました。 1878~1912年 明治時代
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
- 12.大阪海老江に塩野製薬所を建設し、塩酸キニーネ、次硝酸蒼鉛、アンタチヂン等の製造を開始しました。 1878~1912年 明治時代
明治45年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
- 13.明治時代の最後の年に、強心剤「ヂギタミン」の製造、販売を開始しました。 1878~1912年 明治時代
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
- 2.当時医薬品の大きい部分がドイツからの輸入にょっていましたから、輸入の停止とともに、品薄を見越しての価格の高騰等の混乱が起こりました。 1913~1936年 大正、昭和前期
- 3.塩野義では、道修町市場において、平常と大差なしに、売れるがままに売ったといわれています。 1913~1936年 大正、昭和前期
- 4.塩野製薬所では、輸入の途絶した局方品の製造を増進するとともに、いくつかの新薬を製造、発売しました。 1913~1936年 大正、昭和前期
- 10.営業や計算の方法の発展に伴い、創業以来つづけられてきた住み込み丁稚―手代―番頭の制度が打ち切られ、学校出の社員が漸増しました。 1913~1936年 大正、昭和前期
- 11.ビタミンB製剤「パラヌトリン」、抗神経痛薬「塩酸シノメニン」等、自家新薬を続々発売するとともに、国内メーカー製造の「エキシカ」(のちエキホス)、結核性疾患治療剤「ヤトコニン」等、数々の製品の独占発売元になりました。 1913~1936年 大正、昭和前期
- 15.大正の終わり頃の営業部門の人員は70人を超え、新薬の販売高が局方品の販売高に近づきました。 1913~1936年 大正、昭和前期
- 18.シオノアスピリン、血圧降下剤「ハセスロール」、感冒薬「ムルチン注」等が次々発売されました。 1913~1936年 大正、昭和前期
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
- 1.第一次大戦が勃発しました。 1913~1936年 大正、昭和前期
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
- 5.大正7年(1918)、大戦は終結し、道修町市場も平静にかえりました。塩野義三郎商店と塩野製薬所は合併し、資本金150万円の株式会社塩野義商店が設立されました。 1913~1936年 大正、昭和前期
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
- 6.塩野正太郎が義三郎を襲名し、二代社長に就任しました。初代義三郎は、塩野義一と改名し、隠居しました。 1913~1936年 大正、昭和前期
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
- 7.浦江試験所(のち浦江工場)を開設し、製品の検査と小分け包装等を独立して行うことにより、塩野義製品の品質の発展を志しました。 1913~1936年 大正、昭和前期
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
- 8.杭瀬工場を設置し、製造の拡大にそなえました。また、工場内に小さな研究室を設けました。 1913~1936年 大正、昭和前期
- 9.社員の本店店舗内での居住を打ち切り、池田の五月山のふもとに皐月《さつき》寮を開設しました。 1913~1936年 大正、昭和前期
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
- 12.リリー社のインシュリンの販売をアメリカでの発売の直後に行う等、輸入新薬の取り扱いにも力を入れました。 1913~1936年 大正、昭和前期
- 13.大正12年、関東大震災が起こりました。これを契機として、関東、東北、北海道の特約店の拡大を図りました。 1913~1936年 大正、昭和前期
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
- 14.鉄筋コンクリート3階建ての本店社屋を新築しました。道修町で最初の洋館といわれました。 1913~1936年 大正、昭和前期
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
- 16.杭瀬工場内に研究所を新築しました。研究は化学部門に重点が置かれ、医学部門は、製品の効力検定にとどまっていました。 1913~1936年 大正、昭和前期
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