塩野義製薬(株)『シオノギ100年』([1978])

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
- 15.和歌山、神崎川、淀川、泉尾工場を合理化のため閉鎖し、塩野義の製造発祥の淀川工場と泉尾、和歌山工場を売却しました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
- 19.リリー社の抗生物質「アイロタイシン」、メレル社の鎮痙剤「ベンチル」、胃疾患治療剤「コランチル」の販売を開始しました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
- 20.結核化学療法剤「ツベロン」、総合ビタミン剤「ポポンS」、強心利尿剤「ジギトキシン」等の販売を開始しました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
- 21.赤穂工場で工業薬品「カープレックス」の製造を始めました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
- 25.塩野孝太郎専務が社長に就任し、営業部門の近代化に着手しました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
- 26.ローヌプーラン、アメリカ・シェリング、ロシュ等の外国会社との関係を発展し、神経安定剤「ウインタミン」、合成副腎皮質ホルモン剤「プレドニン」、鎮咳剤「メジコン」、ヘアトニック「パンテーン」等の新製品を次々に発売しました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
- 27.シオノギ開発の糖尿病内服治療剤「メゾキサン」、速効性強心利尿剤「ジギコサイド」、感冒剤「ムルチンS」等を発売しました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
- 28.創業以来つづけてきた問屋への販売を更にますます発展しつつ、病院、医師、薬局・薬店への組織的、継続的な情報提供努力を始めました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
- 8.塩野義に労働組合が結成され、労働協約が締結されました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
- 9.天皇陛下が杭瀬工場に来臨され、困難な生産活動を激励されました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
昭和23年(1948) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 渋沢関係略年譜
- 10.敗戦の日の“義三郎宣言”を実現するための合理化方針が定められ、終わりのない合理化努力が始められました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
昭和24年(1949) - 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 渋沢関係略年譜
- 13.株式会社設立以来、塩野家の人びとと従業員によって所有されていた株式を漸次公開し、東京、大阪証券取引所に上場しました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
昭和25年(1950) - 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 渋沢関係略年譜
- 14.輸入ストレプトマイシン小分けのため、粉末注射薬の無菌作業室を完成しました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
- 16.戦後初輸入のIBM統計機を導入し、計算の発展を推進しました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
昭和26年(1951) - 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 渋沢関係略年譜
- 17.ロシュ社と新サルファ剤「サルファジン」の技術援助契約を締結し、杭瀬工場にこの製造設備を完成し、販売を開始しました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
昭和27年(1952) - 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 渋沢関係略年譜
- 18.製造工程に統計的品質管理の手法を実施し、デミング賞実施賞を受賞しました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
- 22.東京支店の建物が完成しました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
昭和28年(1953) - 【竜門社】懸賞論文の募集を開始する。 渋沢関係略年譜
- 23.新ビタミンB1工場を完成、ビタミンB1の輸出を推進しました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
- 24.二代塩野義三郎が死去しました。//義三郎宣言に基づく合理化が、漸く製造部門において緒についたときでした。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
昭和30年(1955) - 【竜門社】渋沢栄一伝記資料刊行会、『渋沢栄一伝記資料』第1巻を刊行する。 渋沢関係略年譜
- 29.製品と疾病の関係の情報をますます発展し、これらを正確に提供する方法をますます発展するために、製品担当制を設けました。 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生
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