※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 17.創業者塩野義一、塩野長次郎が死去しました。 | 1913~1936年 大正、昭和前期 | |
昭和10年(1935) | - | 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 19.社内報を発刊し、社員への経営意思の疎通を促進しました。 | 1913~1936年 大正、昭和前期 | |
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 20.パワース統計機を購入、つづいて昭和12年(1937)、IBMワットソン統計機を採用、計算の機械化を推進しました。 | 1913~1936年 大正、昭和前期 | |
昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 1.日華事変が始まり、年とともに戦争が拡大されました。 | 1937~1945年 戦乱の時代 | |
- | 2.戦時統制経済の進行のなかで、ビタミンB1剤「ネオパラヌトリン」、化学療法剤「アクチゾール」、「アヂプロン」、鎮痛剤「セデス」、抗マラリア剤「アタビル」、「ホモヒン」等の新薬を次々に発売しました。 | 1937~1945年 戦乱の時代 | |
- | 3.戦争の進展に伴い、国家の要請に応じ、中国、南方地域に次々と社員を派遣し、医薬品の配給、製造、植物の栽培等に当たりました。 | 1937~1945年 戦乱の時代 | |
- | 4.工場生産は、人も設備も原材料も、軍需品の製造に重点的に配置されました。 | 1937~1945年 戦乱の時代 | |
- | 7.数次の大爆撃により、製造設備は半身不随の状態になり、原料、材料も乏しくなりましたが、塩野義の全力をあげて医薬品生産に努力しました。 | 1937~1945年 戦乱の時代 | |
- | 8.多くの有為な塩野義の人びとを、戦火のなかで喪いました。悲しいことでした。 | 1937~1945年 戦乱の時代 | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 5.塩野義製薬株式会社と改称しました。 | 1937~1945年 戦乱の時代 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 6.国家の政策に協力して、神崎川工場を開設し、会社合併により、和歌山工場、泉尾工場、赤穂工場を設けました。 | 1937~1945年 戦乱の時代 | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 1.日本の敗戦により、長い戦争が終わりました。 | 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生 | |
- | 2.大阪や棘の市街も・戦火によって廃墟となっていました。 | 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生 | |
- | 3.戦争中の国家の要請に応じて進出した海外の資産も、軍需生産に供した工場設備も、すべてゼロになりました。 | 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生 | |
- | 4.日本も塩野義も破産の状態にありました。 | 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生 | |
- | 5.敗戦の日、塩野義三郎社長は、「今後の塩野義の進路は、世界的な技術競争に打ち勝つことにある」と虚脱状態にあった社員に語りました。“義三郎宣言”といわれるものです。 | 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生 | |
- | 6.しかし、戦争中にも、スルファダイアジン、ペニシリン、ストレプトマイシン等を開発した西欧の技術との隔たりは、極めて大きいものでありました。 | 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生 | |
- | 7.アクチゾール、アヂプロン、サッカリン等の従来製品の製造を、乏しい原材料や燃料の状態を克服し、総力を結集しつつ続けました。 | 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生 | |
- | 11.苦しい経営のなかで、研究者、機械技術者の拡充を行い、将来にそなえました。 | 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生 | |
- | 12.胃疾患治療剤「イグノール」、無痛性ビタミンB1注「パラエス注」、鎮痛剤「セデス錠」、複合ビタミン剤「強力パラエス錠」、感冒剤「ネオムルチン感冒錠」等の新しい製品が発売され、またサンスター歯磨の取り扱いを開始しました。 | 1945~1956年 敗戦、壊滅、再生 |