※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 海岸地区の機械工場完成直ちに操業開始 | 技術・設備・生産など | |
4月 | 資本金を二〇〇〇万円に増資 | 人事・組織・財務・関連企業など | |
7月 | 京都において開催の戦後発展工業博覧会に鋳鍛鋼品、工具、伸銅品ならびに電気機械類その他を出品し「大賞」賞牌受領 | 人事・組織・財務・関連企業など | |
8月 | 二〇〇〇トンプレスおよび二五トン平炉完成 | 技術・設備・生産など | |
10月 | 大阪において開催の工作機械展覧会に工具類を出品、一等および二等賞受領 | 人事・組織・財務・関連企業など | |
10月 | 魚雷発射管発射試験場新設発射試験開始 | 技術・設備・生産など | |
11月 | ワシントン軍縮会議開催 | 社会事項 | |
12月 | 門司工場の一〇〇〇ポンド真鍮溶解用電気炉一基および銅小板ロール二基増設完了 | 技術・設備・生産など | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | ワシントン軍縮会議において五、五、三の比率決定 | 社会事項 | |
12月 | ソビエト連邦成立 | 社会事項 | |
- | セメント製造用諸機械の製作に成功(わが国最初) | 技術・設備・生産など | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 合名会社鈴木商店は新たに(株)鈴木商店を設立(資本金八〇〇〇万円) | 人事・組織・財務・関連企業など | |
9月 | 関東大震災 | 社会事項 | |
11月 | 山手地区の鉄道車両および海岸地区のロール工場完成 | 技術・設備・生産など | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 海岸地区に棒鋼工場新設 | 技術・設備・生産など | |
4月 | 大阪市西区鰻谷三丁目に大阪出張所開設 | 人事・組織・財務・関連企業など | |
- | アメリカ、ウエスチングハウス社からエア・ブレーキの技術導入(わが国最初) | 技術・設備・生産など | |
- | (下期)柴田式自動連結器ならびに緩衝器の製造開始 | 技術・設備・生産など | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 日本エヤーブレーキ(株)を設立し、アメリカ、ウエスチングハウス社から獲得したエア・ブレーキの製造販売権を同社に譲渡 | 人事・組織・財務・関連企業など | |
3月 | ラジオ放送開始 | 社会事項 |