日本金属工業(株)『二十五年誌 : 1932-1957』(1957.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和7年(1932) - 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 渋沢関係略年譜
6月 資本系統を一にする横浜工業株式会社及日本電熱線製造株式会社の事業発展に資するため、故田沼義三郎が、故井坂孝、故植村澄三郎の両氏の後援を得て、資本金12万円を以て当会社を設立 主要事項
6月 設立当時の本社及役員//本社 東京都京橋区銀座西6丁目2番地5//役員 代表取締役社長 田沼義三郎 常務取締役 浅川省三 取締役 村田繁太 常任監査役 植村金吾 監査役二宮兼雄 相談役 井坂孝 相談役 植村澄三郎 主要事項
9月 横浜工業株式会社横浜工場の敷地の一部を借用し、製鋼工場の建設に着手 主要事項
12月 製鋼工場完成、167KVA高周波電気炉1基を設置し、電熱線及電熱帯の材料を日本電熱線製造株式会社に、ステンレス鋼の材料を横浜工業株式会社に供給、横浜工業株式会社において、我国最初のステンレス鋼板の製造を開始//註 横浜工業株式会社(株式会社東西製作所の改組)創立大正12年 資本金30万円 銅、真鍮、アルミ鈑の製造販売//日本電熱線製造株式会社 創立 昭和2年 資本金20万円 電熱線、電熱帯の製造販売 主要事項
昭和8年(1933) - 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 渋沢関係略年譜
3月 ステンレス鋼の板、棒、鋳物、線等の製造形態を整えるため、鍛造工場、製線工場、付属設備一式新設の目的をもって、資本金を20万円に増額 主要事項
4月 13クローム鋼鈑1粍×3尺×6尺完成 主要事項
6月 商工省より真空焼鈍の研究に対し、工業奨励金7,000円下附 主要事項
8月 鍛造工場、製線工場等の建物及設備完成作業を開始 主要事項
昭和9年(1934) - 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 渋沢関係略年譜
6月 中村房次郎取締役に就任 主要事項
9月 宮代彰取締役に就任 主要事項
9月 第2陸軍造兵廠王子火薬製造所へ18-8ステンレス鋼板を試作納入し、各種試験の結果、外国品に遜色なしとの判定を得、10数瓲の製品を納入 主要事項
9月 大阪瓦斯ビルディングヘサッシュ材の一部として、18-8ステンレス鋼板を納入 主要事項
昭和10年(1935) - 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 渋沢関係略年譜
3月 横浜工業株式会社と日本電熱線製造株式会社の両社を吸収合併し、資本金を120万円に増額、ステンレス鋼及び電熱線の製造販売事業の統一を行う 主要事項
3月 合併後横浜工業株式会社を横浜工場、日本電熱線製造株式会社を仙台工場と称す 主要事項
8月 昭和肥料株式会社(現昭和電工株式会社)へ、硝酸装置一式(18-8ステンレス鋼鈑5粍×1米×2米約50瓲使用)を加工の上納入 主要事項
11月 三池染料工業所(現三井化学工業株式会社)へ、18-8ステンレス鋼板5粍×1米×2米約30瓲の外、硝酸吸収塔1基を納入 主要事項
11月 我国化学工業界の先覚者、元日本窒素肥料株式会社社長野口遵氏は、わざわざ横浜工場を視察され、同氏より、優秀なるステンレス鋼を製造し、我国化学工業の発展のため尽力されたしと激励を受く 主要事項
昭和11年(1936) - 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 渋沢関係略年譜
- 各方面より製品の優秀性を認められ、註文量漸増 主要事項
昭和12年(1937) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 渋沢関係略年譜
3月 二宮兼雄監査役辞任 主要事項
6月 住友化学工業株式会社へ、18-8ステンレス鋼鈑6粍×1米×3米約40瓲を納入 主要事項
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