※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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1912年 | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月12日 | 竹島安太郎「粘土その他の珪酸アルミニウムからアルミナの製造方法」特許となる。 | 国内 | |
2月 | 鷹取アルミニウム大阪市に創業す。 | 国内 | |
- | アルミニウムの第2回国際カルテル組織され、L'Aluminium Francaise代表となる。1914年大戦勃発により1913年1月正式に解散す。 | 世界 | |
- | ノルウエーDet Norske Nitridaktieselskab設立さる。 | 世界 | |
- | ノルウエーAnglo Norwegian Aluminium Co.(Aktieselskapet Vigelands Brug)のVigelands工場操業を開始す。 | 世界 | |
- | カナダNorthern Aluminium Co.のToronto工場建設に着手す。 | 世界 | |
- | フランスBauxites du Midi設立さる。 | 世界 | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月14日 | 恩田宮五郎「アルミニウム精製法」特許となる。 | 国内 | |
6月11日 | 住友伸銅場は住友伸銅所と改称しアルミニウム管、棒製品の試作を開始す。 | 国内 | |
9月 | 愛媛県新居浜に住友肥料製造所開設さる。 | 国内 | |
- | ドイツからダイカスト機輸入さる。 | 国内 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ドイツのアルミニウム事業は政府経営のもとに上統一されChemische Fabrik Griesheim ElektronはMetallbank und Metallurgische Gesellschaftと共同してRummelsburg,HorremおよびBitterfeldにアルミニウム製錬工場を建設することになる。 | 世界 | |
- | スイスA.I.A.G.のBorgne(Switzerland)工場操業を開始す。 | 世界 | |
- | フランスCompagnie AlaisはSociete des Produits Electrochimiques et Metallurgiques des PyreneesのAuzat工場を買収す。 | 世界 | |
- | ノルウエーDet Norske NitridaktieselskabのEydehavn工場操業を開始す。 | 世界 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | ノルウエーDet Norske Aluminium Kompagni設立さる。第1次世界大戦後Alcoaの出資となる。 | 世界 | |
- | ドイツの戦時施設Rummelsburg工場操業を開始す。1918年10月休戦とともに閉鎖す。 | 世界 | |
- | AlcoaのBadin(N.C.)工場およびAlcoa(Tenn.)工場操業を開始す。 | 世界 | |
- | 日支貿易商会はアメリカのノーザン・アルミニウム社の総代理店として同国の原塊を欧州大戦後まで一手に本邦に供給す。 | 国内 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | ドイツでアルミニウムを機材とするユンカース飛行機が製造され、今日の全金属製飛行機の基礎をつくる。 | 世界 |