※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
9月3日 | 台風襲来のため三条、五条、伏見及び西大路の各工場に被害をうけた。 | 改組以後 | |
10月 | 特許法施行65周年記念に際し次の通り特許局長官賞を受く。定量天秤 西大路工場 安達政一。 | 改組以後 | |
11月 | 河原町二条南入旧本店社屋の改装工事竣工し再び本店を復帰して業務を開始。 | 改組以後 | |
- | コーンワインダー、X線断面撮影装置其他分光計、オールスチールギャーポンプ、ポーラログラフ、迅速直示天秤、ワイヤーロープ試験器等の新製品を続々発表して学界業界の各方面の要望にこたえた。 | 改組以後 | |
- | 第一次資産再評価の件を臨時株主総会に於て次の通り可決実施した。//再評価実施期日 昭和25年4月1日//再評価を行つた資産の帳簿価格 30,989千円 再評価格 159,712千円 再評価差額 128,723千円 | 改組以後 | |
- | 島津源蔵藍綬褒章を受く。 | 改組以後 | |
- | 予て名古屋市中区西菅原町3丁目1番地に新築中の名古屋営業所竣工し業務を開始。 | 改組以後 | |
昭和26年(1951) | - | 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 50年勤続者として常務取締役松浦弥平を表彰。 | 改組以後 | |
5月 | 秩父宮妃殿下は財団法人結核予防会総裁として三条工場に御成り特にレントゲン工場を御視察。 | 改組以後 | |
6月 | 島津式間接法による珪素樹脂の製造に関し昭和26年度工業化試験補助費1000万円を下附された。 | 改組以後 | |
9月 | 三菱電機株式会社を通じて米国ウエスチングハウス社との技術提携成り19日調印式を行う。 | 改組以後 | |
10月 | 北白川の山荘において療養中の初代社長島津源蔵氏は2日早朝永眠せられ、10月14日西大谷本廟に於て当社、日本電池、日本輸送機、大日本塗料の四社合同葬儀を厳修した。翁の逝去に先立ち特旨を以て正五位勲三等を賜わり生前の功績を嘉せられた。 | 改組以後 | |
11月 | 天皇陛下関西行幸の砌三条工場に行幸、親しく作業の情況を御視察遊ばされた。陛下は当社製品に対して特別の御関心を示され終始御熱心に御視察、役員従業員を御激励遊ばされ一同創業以来未曾有の光栄に感激した。尚当社より電子顕微鏡写真帖1冊を献上した。 | 改組以後 | |
- | 無段変速装置、同転陽極X線管、超音波探傷器、光電式増幅型記録計其他20余種類の新製品を完成。 | 改組以後 | |
- | 本年より25年勤続被表彰者に対し歯車附〓[○+十]徽章を始めて交附。 | 改組以後 | |
- | 珪素樹脂事業の本格的工業化準備の為日新化学工業株式会社との合弁で新たに日本珪素樹脂株式会社を設立。 | 改組以後 | |
- | 資本金1000万円。工場及事務所を山ノ内工場に置く。 | 改組以後 | |
- | 第65期定時株主総会に於て資産再評価法に基く再々評価の件次の通り可決実施。//再々評価実施期日 昭和26年4月1日//第二次再評価資産の帳簿価格 130,271千円//再評価格 537,810千円//再評価差額 407,538千円 | 改組以後 | |
昭和27年(1952) | - | 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 取締役会に於て資本金3億円を6億円に増資決議。6月5日払込完了。 | 改組以後 | |
4月 | レントゲン技術専修学校は厚生大臣より診療エックス線技師養成所に指定された。 | 改組以後 |