※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 疎開各工場は全部旧工場に復帰。米軍より民需生産転換許可を受けた。 | 改組以後 | |
- | 戦後の新時態に対処、重役陣の改選を行い、取締役会長に島津源吉、取締役社長に鈴木庸輔が就任し、島津源蔵、島津常三郎は夫々取締役会長、副社長を退任した。 | 改組以後 | |
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 河原町本店社屋が進駐軍に接収せられ本店を三条工場の構内に移転。三条、四条、五条、高野及び西大路の各工場が賠償工場に指定された。 | 改組以後 | |
2月 | 御池工場が進駐軍に接収された。 | 改組以後 | |
3月 | 千代田区美土代町の東京支店社屋が進駐軍に接収された為、神田錦町の旧倉庫跡に移転。 | 改組以後 | |
4月 | 商工省石炭関連機械重要工場の指定をうけた。 | 改組以後 | |
5月 | 寺田工場高野工場を売却。山ノ内工場及び15工場は賠償の指定をうけ先に指定された西大路工場は賠償を解除された。 | 改組以後 | |
8月 | 三条工場北地区及西地区の一部を進駐軍に接収された。 | 改組以後 | |
9月 | 山ノ内工場賠償指定を解除せられた。 | 改組以後 | |
10月 | 新築中の保健所竣工し診療を開始。 | 改組以後 | |
11月 | 三条工場東地区の賠償指定を解除された。 | 改組以後 | |
- | 寺田工場及び高野工場を閉鎖。 | 改組以後 | |
- | 各工場事業場毎に労働組合が結成された。 | 改組以後 | |
- | 島津傘下八労働組合は単一組合を結成。 | 改組以後 | |
- | 早野化学研究所閉鎖。 | 改組以後 | |
- | 会社経理緊急措置法に基き特別経理会社となる。 | 改組以後 | |
- | 取締役会長島津源吉退任。 | 改組以後 | |
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 戦時中一時研究を中止していた電子顕微鏡を始めて完成し又ミカルク型高圧注油器其他十数種類の新製品を市場に送る。 | 改組以後 | |
5月 | 四条工場を閉鎖。 | 改組以後 | |
6月 | 天皇降下関西行幸に際し電子顕微鏡写真及び立体双眼鏡を献上した。 | 改組以後 |