三菱重工業(株)『三菱重工業株式会社史』(1956.08)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
安政2年(1855) 7月 徳川幕府長崎製鉄所の建設を企図す 254[p] 一般
安政4年(1857) 10月10日 長崎製鉄所起工式を挙行 幕府招聘の和蘭人ハー ハルデスが主として工事を指導 254[p] 一般
万延元年(1860) 12月 長崎製鉄所上棟式を挙行 254[p] 一般
文久元年(1861) - 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 渋沢関係略年譜
3月 長崎製鉄所落成式を挙行 254[p] 一般
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
6月 長崎製鉄所官営となる 255[p] 一般
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
3月 長崎府は英商トーマス ブレーキ グラバより小菅船架を洋銀120,000弗で買入れ長崎製鉄所の附属とす 255[p] 一般
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
10月9日 土佐藩が大阪西長堀にて経営の開成館を閉鎖するに当り 岩崎弥太郎は同館を承継し個人で土佐開成商社を興し 次いで九十九商会と改称(18日) 専ら海運業を営む 30[p] 一般
- 長崎製鉄所 立神船渠建造に着手 255[p] 労務工場
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
4月 長崎製鉄所 工部省の所管となり長崎造船所と改称 255[p] 一般
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
1月 九十九商会を三川商会と改称 31[p] 一般
6月16日 明治天皇長崎造船所に御成 2[p] 一般
10月 長崎造船所は長崎製作所と改称 255[p] 一般
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
3月 三川商会を三菱商会と改称 31[p] 一般
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
3月 長崎造船所 本年2月仏国人ワンサンフロランを傭入れ一旦中断した立神船渠の築造を再び開始 労務工場
4月1日 三菱商会本店を東京南茅場町に移し 大阪西長堀本店を支店とす 一般
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
5月1日 三菱商会を三菱汽船会社と改称 31[p] 一般
9月18日 三菱汽船会社を郵便汽船三菱会社と改称 31[p] 一般
11月1日 郵便汽船三菱会社は商船学校を創設し 帆船成妙丸を永代橋畔に繋置して仮校舎とす 東京商船学校の前身 一般
12月31日 横浜市海岸通りにボイド商会と共同で三菱製鉄所を経営し 船舶修理の業を営む 31[p] 労務工場
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
1月 会計制度に始めて商業簿記を採用し会計帳簿5種を定む 664[p] 経理
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