※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月1日 | 関東大震災 | 一般 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
5月5日 | 普通選挙実現 | 一般 | |
12月24日 | 三菱造船株式会社第3代会長に浜田彪就任 | (旧)三菱重工業 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 金融恐慌おこる | 一般 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月1日 | 三菱内燃機株式会社を三菱航空機株式会社と改称 | (旧)三菱重工業 | |
5月3日 | 済南事件(山東出兵による日中両軍の衝突)勃発 | 一般 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月24日 | 世界恐慌おこる(翌年日本に波及;昭和恐慌) | 一般 | |
12月1日 | 三菱航空機株式会社東京製作所新設 | (旧)三菱重工業 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月11日 | 金解禁実施 | 一般 | |
4月22日 | ロンドン海軍軍縮条約調印 | 一般 | |
12月 | 89式軽戦車(イ号車)完成 | (旧)三菱重工業 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 重要産業統制法公布 | 一般 | |
9月18日 | 満州事変はじまる | 一般 | |
12月13日 | 金輸出再禁止実施(金本位制離脱) | 一般 | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月28日 | 上海において日中両軍衝突 | 一般 | |
3月 | 満州国建国宣言 | 一般 | |
5月15日 | 5.15事件 | 一般 | |
5月 | ふそうB46型乗合自動車製作 | (旧)三菱重工業 | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
3月27日 | 日本、国際連盟を脱退 | 一般 | |
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月16日 | 三菱造船株式会社第4代会長に斯波孝四郎就任 | (旧)三菱重工業 |