※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月30日 | 雇仏人建築師長ワンサン フロラン解雇、帰国 | 当所の動き | |
11月22日 | エリザベス ラッセル来崎、活水女学校を設立 | 社会の動き | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月19日 | 外国人の遊歩区域を拡大 | 社会の動き | |
7月26日 | 雇英人水夫頭目グダラス解雇、帰国 | 当所の動き | |
12月5日 | 鉄船製造師英人ラング満3カ年の約条で新規雇傭 | 当所の動き | |
12月 | 女神に検疫所が設置される | 社会の動き | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月12日 | 機械師長英人ストリおよび器械助師英人ジョン デキソンをを再び雇傭 | 当所の動き | |
3月 | 郵便汽船三菱会社、九州地方の事務総括のため、長崎事務所設置 | 当所の動き | |
4月 | 日見峠新道会社が日見峠新道開さく工事に着手 | 社会の動き | |
4月 | 岩崎弥太郎が高島炭鉱を買収 | 社会の動き | |
10月14日 | 立神修船場材木納屋より失火、焼失 | 当所の動き | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月4日 | 軍人勅諭を配布 | 社会の動き | |
2月28日 | 政府は三菱会社に船舶改良、兼業禁止の命令書を交付 | 当所の動き | |
3月15日 | 三菱商船学校、政府に移管す | 社会の動き | |
4月7日 | 板垣退助、岐阜で遭難 | 社会の動き | |
6月30日 | 雇外国人表//職務 国籍 人員 1ヵ月給料//機械師長 英国人 1人 銀貨300円//鉄船製造師 〃[英国人] 1人 〃[銀貨]250円//機械助師 〃[英国人] 1人 〃[銀貨]250円//合計 3人 〃[銀貨]800円 | 当所の動き | |
7月1日 | 長崎中学校を長崎外国語と改称 | 社会の動き | |
10月10日 | 日本銀行開業 | 社会の動き | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 礦山局「小菅丸」竣工 | 当所の動き | |
5月9日 | 佐賀県が置かれ、6郡が本県から分離する | 社会の動き |