※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月15日 | 政府は本邦海軍事業を拡張すべく三菱汽船会社に13隻の汽船などを無代価にて下渡し、かつ航海助成金を下付 | 当所の動き | |
9月18日 | 三菱汽船会社を「郵便汽船三菱会社」と改称 | 当所の動き | |
11月1日 | 三菱商船学校設立(東京商船学校の前身) | 社会の動き | |
12月31日 | ボイト商会と合同で造船機械所「三菱製鉄所」を建設後、日本郵船会社設立に際し同社へ移管、一部の使用人、機械類を長崎へ移転す | 当所の動き | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 雇外国人は仏国人1名、英国人3名、計4名 日本人技術者5名、事務官員8名、計13名 | 当所の動き | |
10月17日 | 小笠原諸島領有を各国に通告 | 社会の動き | |
10月 | 鑛山局木造汽船「小菅丸」小菅工場にて起工 | 当所の動き | |
12月 | 長崎県庁舎完成 | 社会の動き | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月13日 | 長崎製作所を「長崎工作分局」と改称 | 当所の動き | |
2月15日 | 西南戦争始まる | 社会の動き | |
6月 | 英国へ船渠の扉船を注文 | 当所の動き | |
7月 | 会計制度に商業簿記法制定 | 当所の動き | |
9月24日 | 西郷隆盛、城山で自刃し西南戦争終わる | 社会の動き | |
12月20日 | 国立十八銀行を開業 | 社会の動き | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月21日 | コレラが大流行、本県患者1,854名、死者511名 | 社会の動き | |
11月15日 | 立神修船場水槽築造用地として、立神郷善交寺谷民有地157坪を買収 | 当所の動き | |
12月26日 | 小菅修船場支局煙突より出火、1棟焼失 | 当所の動き | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月31日 | 第1回長崎県会議員選挙(議員62名) | 社会の動き | |
5月21日 | 立神船渠完成し、井上工部卿臨席のもとに開渠式挙行 | 当所の動き | |
5月30日 | 雇英人機械師長フランク ロベルト ストリ解雇、帰国 | 当所の動き |