三菱重工業(株)長崎造船所『長崎造船所150年史』(2008.01)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
6月18日 長崎―上海間の海底電信線完工 社会の動き
8月19日 散髪、廃刀の自由を認める大政管令布告 社会の動き
9月15日 岩崎弥太郎、九十九商会の経営を引受け独立 当所の動き
11月 郵便を東京―長崎間に設ける 社会の動き
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
1月2日 永見・松田商社が東浜町に開業(十八銀行の前身) 社会の動き
1月 九十九商会を「三ツ川商会」と改称 当所の動き
6月13日 明治天皇、長崎行幸に際し小菅修船場、飽ノ浦工場に臨幸 当所の動き
8月11日 対馬国を長崎県に編入 社会の動き
10月2日 長崎造船所を「長崎製作所」と改称 当所の動き
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
1月 本木昌造、鉛活字による週刊「長崎新聞」を創刊(同年12月廃刊) 社会の動き
3月20日 天皇、率先して断髪 社会の動き
3月 三ツ川商会を「三菱商会」と改称 当所の動き
10月 雇外国人の居宅2棟新築起工、7年4月落成 当所の動き
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
2月15日 佐賀の乱起こり、三菱商会、輸送役務に大功あり 社会の動き
2月 立神船渠築造のため建築師長仏人ワンサン フロランを雇入れ、3月から改めて工事着手 当所の動き
4月1日 三菱商会本社を東京に移転 当所の動き
6月 西郷隆盛が鹿児島に私学校を設立 社会の動き
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
2月3日 三菱商会、横浜―上海航路開始(わが国最初の外国航路) 社会の動き
2月 本田実、本木昌造らと「長崎新聞」復刊、翌年「西海新聞」その後「鎮西日報」となり、明治43年廃刊 社会の動き
5月1日 三菱商会を「三菱汽船会社」と改称 当所の動き
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