日産自動車(株)『21世紀への道 : 日産自動車50年史』(1983.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
7月26日 吉原工場で戦後初のダットサントラックオフライン。 本史
12月15日 日産自動車販売店組合結成。 本史
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
5月31日 箕浦多一が取締役社長に就任。 本史
8月1日 吉原工場で戦後初のダットサン乗用車オフライン。 本史
昭和23年(1948) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 渋沢関係略年譜
2月8日 過度経済力集中排除法による指定会社となる。 本史
昭和24年(1949) - 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 渋沢関係略年譜
3月1日 鶴見工場を連合軍乗用車修理を主体とした外車工場とする。 本史
7月31日 日産自動車販売(株)との委託販売契約を解約し、各販売店との直接契約に変更。 本史
8月1日 社名を日産自動車(株)に復帰。 本史
昭和25年(1950) - 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 渋沢関係略年譜
5月1日 民生デイゼル工業(株)(現日産ディーゼル工業)に資本参加。 本史
昭和26年(1951) - 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 渋沢関係略年譜
5月 新日国工業(株)(現日産車体)に資本参加。 本史
6月 朝鮮動乱による当社への特需、1年間で約35億円に達する。 本史
9月 ニッサンパトロールの生産開始。 本史
10月27日 浅原源七が取締役社長に就任。 本史
昭和27年(1952) - 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 渋沢関係略年譜
4月 東京測範(株)に資本参加。 本史
6月1日 社内報『ニッサンニュース』創刊。 本史
12月4日 オースチン社との技術提携契約調印。 本史
昭和28年(1953) - 【竜門社】懸賞論文の募集を開始する。 渋沢関係略年譜
4月4日 オースチンA40の国内組立第1号車オフライン。 本史
5月25日 労働組合から賃上げなどの要求書提出、労使長期紛争に入る。 本史
8月30日 日産自動車労働組合結成。 本史
9月21日 長期紛争終結。 本史
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