※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | ラジオ普及61.6% | 一般 | |
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 海軍大臣より軍用資源秘密の指定並びに秘匿措置を命ぜられた。当社が既に軍の重要施設となっていたことを示している。 | 当社 | |
- | 日独伊軍事同盟条約調印 | 一般 | |
- | 食糧難で汐干狩盛ん | 一般 | |
- | 砂糖・マッチ・切符制 | 一般 | |
- | 煙草バットを金鵄、チェリーを桜に改名 | 一般 | |
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 富岡製作所(旧称富岡工場)が、京浜地区に所在することに起因する地域的制限、人的資源確保の困難性、下請工場の不確実等の理由から工場の地方分散を企画し、山形県に山形製作所を開設し、当日その開所式を行なった。山形製作所は、12万坪の飛行場をもつ敷地6万坪の工場で、現在航空局の山形飛行場になっている。 | 当社 | |
8月 | 資本金を1,500万円に増資(増加資金1,000万円) | 当社 | |
10月 | 本店を、横浜市磯子区富岡町3,175番地に移転。 | 当社 | |
11月 | 堀社長が、浦賀ドック社長に転出のため辞任したのに伴い、海軍中将大野寛氏が取締役社長に就任。 | 当社 | |
12月 | 太平洋戦争が勃発。昭和16年当時の国際情勢は極度に緊迫し、一触即発の危機をはらんだまま経過し、この年の12月8日遂に太平洋戦争に突入したのであるが、近代戦力としての航空機に対する評価も高まり、経済性を無視した戦時下の増産体制に遮二無二突入していった。 | 当社 | |
12月 | 人員増員についても、昭和16年12月より翌年2月迄に現員徴用並びに新規徴用が実施され、人員規模は更に拡大していった。 | 当社 | |
- | 東条内閣成立 | 一般 | |
- | 真珠湾奇襲・対米英蘭宣戦 | 一般 | |
- | 米の配給通帳・外食券制(1日2合3勺) | 一般 | |
- | 小学校を国民学校に改称 | 一般 | |
- | 味噌・醤油・菓子の配給制 | 一般 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 第3次現員並びに新規徴用令達式挙行。 | 当社 | |
10月 | 太平洋戦争も1年を経過し国家総力戦となっていったが、資源の困苦欠乏のため当社に於ても機体等を全金属製から木製に設計変更するような努力をした。 | 当社 | |
- | 本土初空襲、横浜では機銃掃射も | 一般 |