森田ポンプ(株)『70年のあゆみ』(1977.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
4月 株式会社藤井商店が経営に参加。 第1期 戦前時代(明治40年~昭和20年)
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
6月 大東亜戦争勃発後は、民需のほか陸海軍の軍需が激増し、陸軍軍需品本省、海軍航空本部の管理工場となったため、大阪市生野区腹見町2丁目33番地所在の工場を買収、生野工場とし消防用各種ポンプの製作専門工場とした。 第1期 戦前時代(明治40年~昭和20年)
10月 倍額増資により、資本金は二〇〇万円となる。 第1期 戦前時代(明治40年~昭和20年)
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
6月 大阪市第2次空襲により大阪市港区の本社工場は全焼し、本社及び本社工場を生野工場へ移転した。 第1期 戦前時代(明治40年~昭和20年)
8月 終戦によりわが国産業界は全面的に虚脱状態に陥った。当社は数名の従業員を残して全員解雇を断行するのやむなきにいたった。消防ポンプはそのまま平和産業として立ち直りに努力したが、当時ポンプの需要は皆無で一時政府の払い下げ自動車の整備を行う状態にすぎなかった 第1期 戦前時代(明治40年~昭和20年)
昭和24年(1949) - 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 渋沢関係略年譜
7月 特別経理会社の指定を受け、再建整備の都合上7月一〇〇万円、11月に一〇〇万円の増資により資本金は四〇〇万円となり、従業員の自力更生に徹する不屈の努力と相まって再建の曙光を見るにいたった。 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年)
10月 仙台市名掛丁114番地に仙台出張所を開設。 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年)
昭和25年(1950) - 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 渋沢関係略年譜
5月 地上局30m、全自動機械式金属製はしご付自動車の第1号車の製作に成功、大阪市へ納入し絶賛を博し名声を挙げた。 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年)
昭和26年(1951) - 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 渋沢関係略年譜
8月 藤井正次郎が4代社長に就任。 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年)
11月 六〇〇万円の増資により、資本金は一、〇〇〇万円となる。 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年)
12月 三〇〇万円の増資により、資本金は一、三〇〇万円となる。 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年)
昭和27年(1952) - 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 渋沢関係略年譜
1月 二〇〇万円の増資により、資本金は一、五〇〇万円となる。 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年)
昭和29年(1954) - 【竜門社】渋沢栄一伝記資料刊行会を組織し、『渋沢栄一伝記資料』全58巻の編集を開始する。 渋沢関係略年譜
2月 一、〇〇〇万円の増資により、資本金は二、五〇〇万円となる。 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年)
7月 受注量の増大に伴い、本社工場内に鉄筋コンクリート造り平屋建工場709m2の組立工場を増設した。 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年)
昭和31年(1956) - 【竜門社】創立70周年記念総会を開催する。 渋沢関係略年譜
4月 大阪市で開催された日本国際見本市へ、業界初めての森田式消防ポンプ自動車を出品、好評を博した。 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年)
4月 放水量毎分一〇、〇〇〇(l)の超大型シリース・パラレルのボリュートポンプを製作し、消防艇明光丸へ装備し、大阪市へ納人した。 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年)
4月 一、〇〇〇万円の増資により、資本金は三、五〇〇万円となる。 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年)
昭和32年(1957) - 【渋沢敬三】第16回ICC総会に日本代表団団長として出席のため渡欧。外務省顧問に就任、「移動大使」として中南米諸国を歴訪。 渋沢関係略年譜
11月 藤井三郎が5代社長に就任。 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年)
12月 三五〇万円の増資により、資本金は三、八五〇万円となる。 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年)
12月 油圧駆動式はしご付消防車の製作に成功し、第1号車を呉市へ納入した。 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年)
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