※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月27日 | 第五回定時株主総会開催、於日本工業倶楽部。監査役山本留次、渋沢秀雄、両氏重任。 | ||
5月15日 | 菊地東陽氏、写真師大会に出席於東京美術学校。 | ||
5月16日 | 菊地東陽氏。前日の大会に続き日本工業倶楽部に於けるポートレート撮影法実験会を催した。 | ||
5月 | 阪神地方福岡鹿児島地方の写真師大会に吉田公輝伊藤竜吉両氏を派遣した。 | ||
7月10日 | 平和記念東京博覧会より印画紙オリエントに対して最初の銀牌を授賞した。 | ||
7月22日 | 高峰譲吉氏。紐育にて客死す。享年六十九。 | ||
9月14日 | 監査役横山直義氏逝去。 | ||
9月30日 | ピーコツク千円懸賞写真募集開始。 | ||
10月28日 | 第六回定時株主総会開催、於日本工業倶楽部。 | ||
12月 | オーケー実用印画紙発売。 | ||
- | 夏。現像薬オリエンタルMQを発売。 | ||
- | 夏。伊藤竜吉氏、マツトラツク創製。 | ||
- | 秋。第一回従業員慰安観劇会。於下谷二長町市村座。 | ||
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月28日 | 第七回定時株主総会。於日本工業倶楽部。取締役加瀬忠次郎、五十嵐与七両氏重任。 | ||
9月1日 | 開東大震災勃発。東京営業所(京橋区槍屋町)は全部烏有に帰した。 | ||
9月10日 | 営業所を落合工場内に移した。災後異常の実行を見る。 | ||
9月20日 | 工場応急修理を完了して試運転を開始し、二十二日より製造を開始した。 | ||
11月19日 | 本社所在地を落合工場に移転した。 | ||
11月23日 | 第八回定時株主総会開催於日本工業倶楽部。 | ||
12月 | 原料の缺乏を告げ作業は半休状態の止むなきに至る。 |