※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 本社所在地を東京府豊多摩郡落合町大字葛ヶ谷六六〇(現在地)に移転登記した。 | ||
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
1月20日 | 京橋区宗十郎町九番地に東京出張所を開設した。 | ||
2月11日 | 大阪出張所開設。(大阪市東区安土町一ノ二〇) | ||
3月18日 | 渡辺恒太郎氏、常務取締役就任。 | ||
3月 | 写真雑誌「フオトタイムス」創刊。 | ||
4月8日 | 第二工場建設のため隣接地一二九〇坪を買入れた。 | ||
4月12日 | 春季従業員慰安大会、於多摩河原。 | ||
4月26日 | 第九回定時株主総会。於日本工業倶楽部。監査役山本留次、渋沢秀雄の両氏重任、植村金吾氏監査役新任。 | ||
9月27日 | 工場法施行細則第二条による届出を提出し始めで工場法の適用を受けた。 | ||
10月27日 | 第十回定時株主総会開催。於日本工業倶楽部。初めて株主に配当した。 | ||
11月24日 | 創立に尽力せし諸氏を招待して謝恩会を開いた。於日本工業倶楽部。 | ||
- | 夏。国産品愛護運動全国的に火蓋が切られ各地の写真師組合は印画紙専用決議をなした。 | ||
- | 是歳。「東陽会」誕生。 | ||
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
4月27日 | 第十一回定時株主総会開催。於日本工業倶楽部。 | ||
5月5日 | 海軍省経理局より印画紙購入の際に於ける指定会社となる。 | ||
7月1日 | 理学士市岡太次郎氏入社。研究部長就任。 | ||
10月8日 | 菊地東陽氏渡欧送別会。於上野精養軒。 | ||
10月14日 | 伏見宮殿下本社参観。 | ||
10月18日 | 菊地東陽氏。横浜出帆静岡丸にて渡米の途につく。 | ||
10月27日 | 第十二回定時株主総会開催。於日本工業倶楽部。取締役勝精。渡辺恒太郎、菊地東陽の三氏重任。 |