※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月25日 | 合資会社博進社印刷工場を株式会社博文館印刷所に改称、資本金25万円、博文館以外の受注始める | 当社事項 | |
5月23日 | 文部省、国定教科書供給事業を完全に統制するため、小学校教科用図書翻刻発行規則により大橋新太郎ら翻刻発行者10名に図書の割当を告示 | 当社事項 | |
9月5日 | ポーツマスで日露講和条約調印 | 業界・一般事項 | |
- | この年清国向けの図書が増加、博文館は大連出張所に次いで旅順に第二出張所を開設 | 当社事項 | |
明治39年(1906) | - | 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月31日 | 鉄道国有法公布 | 業界・一般事項 | |
4月 | 大橋光吉、多色印刷専門の精美堂を創立(博文館印刷所隣接地)。資本金3万円 | 当社事項 | |
5月1日 | 大橋新太郎、清韓両国を視察、6月28日まで | 当社事項 | |
5月 | 精美堂第一工場落成、精美堂絵本発行 | 当社事項 | |
5月 | 大橋光吉、博文館印刷所理事に就任 | 当社事項 | |
12月 | 博文館印刷所創業10周年記念式典 | 当社事項 | |
明治40年(1907) | - | 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月4日 | 日清印刷(株)設立(大日本印刷の前身) | 業界・一般事項 | |
6月15日 | 博文館創業20周年記念式典(上野精養軒)祝賀会を簡素にし慶応、早稲田、大橋の各図書館等7ヵ所へ各1000円を寄付 | 当社事項 | |
明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月2日 | 大橋新太郎外遊、マリノニ社6色輪転機をパリで購入、12月11日帰朝、機械42年9月到着 | 当社事項 | |
11月 | 博文館印刷所の従弟学校長に渡辺勇助(大正4年まで)就任 | 当社事項 | |
11月 | 『ハガキ文学』廃刊 | 当社事項 | |
11月 | 月刊『ベースボール』創刊(野球研究会発行)、博文館発売 | 当社事項 | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
10月16日 | 警視庁、博文館に対し各雑誌の発行日前の発売禁止を命令(取締上)。これにつき同業者協議し、増田義一(実業之日本社)、坪谷善四郎(博文館)総代で内務省と交渉、その結果、各雑誌表記の法定発行日はそのままとし、印刷納本日を実際の発売日とすることとなる | 当社事項 | |
10月 | 日本書籍株式会社創立、小学校教科用図書の翻刻発行が目的、社長大橋新太郎。国定教科書の製造に協力する | 当社事項 | |
12月25日 | 大橋新太郎、東京書籍商組合に図書陳列館の設立を提案、基金500円を寄付 | 当社事項 | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 『印刷雑誌』(24年2月28日佐久間貞一創刊、印刷雑誌社発行)20巻4号で廃刊 | 業界・一般事項 |