共同印刷(株)『共同印刷90年史』(1987.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
1月29日 博文館印刷所、2階建ての写真製版科焼失 当社事項
1月 株式会社博文館印刷所、専務取締役大橋光吉、取締役支配人高橋秀吉、取締役君島潔・佐藤憲斌、監査役大橋進一・大橋幹二・羽田福太郎 当社事項
1月 大橋光吉、東京印刷同業組合副組長就任 当社事項
6月28日 ベルサイユ平和条約調印 業界・一般事項
7月23日 博文館印刷所職工700名余が賃金30%増額、日曜公休、会議に職場代表出席、その他を要求し争議に入る。これが市内各印刷所へ波及し精美堂約250名、日本書籍約400名等も動揺 当社事項
8月1日 博文館新築落成(日本橋区本石町3丁目) 当社事項
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月16日 国際連盟成立 業界・一般事項
3月15日 株式大暴落、戦後恐慌始まる 業界・一般事項
8月1日 株式会社大橋本店創立、資本金1000万円、頭取大橋新太郎 当社事項
10月8日 博文館印刷所と小石川製作所を合併、資本金300万円、重役7名、事務員20名、技術者10名、雇員29名、労務者836名 当社事項
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
2月4日 精美堂を株式会社とする。資本金200万円、社長大橋光吉、常務取締役君島潔、取締役武藤安五郎、監査役太田馬太郎、相談役大橋新太郎 当社事項
9月25日 文部省・東京博物館共催の印刷文化展開催(同博物館)入場者約20万名、10月25日まで 業界・一般事項
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
2月 技術者養成の精美堂印刷学校創立(精美堂工場構内) 当社事項
3月1日 大阪府・展示会協賛会共催の印刷文化展覧会開催(府立商品陳列館)入場者約22万名、20日まで 業界・一般事項
5月 精美堂、3番目の新工場(鉄筋コンクリート3階建て)落成、4月移転 当社事項
11月27日 精美堂新工場・博文館印刷所新工場の合同祝賀会開催 当社事項
12月 精美堂グラビア印刷始める。技術者16名、労務者1287名に増加 当社事項
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
8月7日 博文館印刷所ポイント整版工場落成 当社事項
9月1日 関東大震災で博文館印刷所の新工場(3階建て)倒壊、41名の犠牲者出る 当社事項
9月1日 関東大震災 業界・一般事項
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