※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月12日 | 京都丸山公園左阿弥に全国染料商大会開催、会衆四百数十名に達した。 | 参考・関係事項 | |
12月15日 | 堺岩五郎は大同藍株式会社の監査役に重任した。(―八・一・十九) | ||
12月27日 | 第四十一通常議会。(―八・三・廿七) | 参考・関係事項 | |
- | 秋より流行性感冒猖獗を極めた。 | 参考・関係事項 | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月13日 | 西園寺公望・牧野伸顕外三名を仏国巴里に於ける講和会議全権委員に任命。 | 参考・関係事項 | |
2月11日 | 大阪染料商壮年会生る | 参考・関係事項 | |
5月10日 | 三木社長支那及満洲視察に出発、三宅弥平・波多好文が随行した。(―六・八日帰国) | ||
5月20日 | 石川弘蔵、日本染料製造株式会社営業部長に就任。 | 参考・関係事項 | |
6月18日 | 稲本栄治入店。 | ||
6月28日 | 第一次世界大戦の平和条約成立。 | 参考・関係事項 | |
6月 | 米国ナシヨナル・アニリン社及デユポント社の人造藍初めて入荷。 | 参考・関係事項 | |
7月22日 | 宮森常盤入店。 | ||
8月15日 | 此日発行の『聖代偉績芳艦』に第十一世三木与吉郎順治の畧歴が左の通り収録せられた。//資性敏捷、天保七年九月生る、同家は郷士にして氏は其十一世子に生れ、幼にして気慨あり、祖名を興さんことを期し、嘉永四年甫めて十六歳、江戸に出で商業の余暇を以て文武を修め、前後十二年蛍雪の功を積み、文久二年郷に帰り、自ら道場を開き、大に時人を薫陶せり、旧藩主擢んでて農兵肝煎を命じ、尋で元治元年藍方御用利を命ず、明治二年大庄屋を命ぜられ、三年更に北海道開拓使御用達を命ぜられ、爾来各種の公務に精励し、同二十一年同県県会議員に挙げられ、徴兵参事員と為りたるも、幾許もなく病気に依り辞職せり、公共公益に志敦く、慈善心に富める氏は。凶年凶歳には必ず金穀を出して窮民を賑恤し、学校を興し国産を奨励せること枚挙に遑あらず、明治二十年愛国の衷情を表し、海防費の内へ金円を献納し、其功に依り勅定の黄綬褒章を下賜し善行を表彰せらる、爾来実業に精励し、又明治二十三年貴族院議員に任ぜられ、二十七八年戦役の功に依り銀盃一組を下賜せられ、三十七八年戦役の功に依り勲四等に叙せらる、又明治二十五年阿波銀行の創立と共に選ばれて頭取となり、実業界に稗益するところ尠少ならず、老来益活躍しつつありしが四十一年病に罹り長逝せり、今や嗣子康治氏与吉郎を襲名し、家業に精励しつつあり。 | ||
8月24日 | 大同藍株式会社東京支店、日本橋区伊勢町二十四番地に移転。 | 参考・関係事項 | |
9月2日 | 店員安達時太郎を支那上海に出張せしめ、出張所開設準備に当らしめた。 | ||
9月27日 | 西比刺亜出兵撤収。 | 参考・関係事項 | |
10月22日 | 帝国飛行協会東京大阪間に郵便飛行開始。 | 参考・関係事項 | |
10月 | 米国ナシヨナル・アニリン染料薬品会社神戸に支社設置。 | 参考・関係事項 | |
11月3日 | 東京進隆会主催の染料交換会開催引続き九年一月に至る間交換会各地に頻繁と開催。 | 参考・関係事項 | |
12月1日 | 上海出張所の設置成り此日から業務を開始した。 |