※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月15日 | 三木社長は大同藍株式会社の定時株主総会で代表取締役に六選せられ、昭和七年七月同社が解散するまで同社を主宰した。(明治四十二・十二・三―昭和七・七・三十一) | ||
12月16日 | 定款第三条の営業目的を左の通り変更した。//一、藍及其の他の染料、化学製品及其材料、米穀、肥料、洋蝋、諸油脂、各種機械、工具金物類、諸雑貨類の直輸入、販売及問屋業、及其仲立、外に右事業に対する投資。//二、各種物品の運送業。 | ||
12月26日 | 第四十二通常議会。(―九・二・廿六) | 参考・関係事項 | |
- | 此歳、東京本店は上流階級に珍重せられていた競馬石鹸の日本国内販売権を持つた独逸人エルリツヒ ピーペルと合弁でその販売並雑貨類の輸入を行ひ、震災後ピーペルは大阪支店に移つて羊毛、毛織物類の輸入をしたが十四年頃廃した。 | ||
- | 此歳、休業中の独逸商館営業再開。 | 参考・関係事項 | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月9日 | 芳川顕正歿、年八十。 | 参考・関係事項 | |
1月10日 | 平和条約公布、平和克復の詔書下賜。 | 参考・関係事項 | |
1月 | (下旬)熱田丸戦後最初の独逸染料(人造藍を含む)二~三千斤を神戸港に輸入。 | 参考・関係事項 | |
1月 | 此月休業中の大同藍株式会社再開。 | 参考・関係事項 | |
2月26日 | 第四十二通常議会解散 | 参考・関係事項 | |
2月28日 | 堺岩五郎は大同藍株式会社監査役に就任した。(―十、三・一) | ||
3月6日 | 戦後劈頭入荷の独逸人造藍大同藍会社より割当販売、独逸輸入染料も此頃から各問屋販売開始。 | 参考・関係事項 | |
3月12日 | 露領沿海州ニコラエフスクで露西亜過激派の為め領事石田虎松ら日本人虐殺。(尼港事件) | 参考・関係事項 | |
3月15日 | 笠原準一入店。 | ||
3月16日 | 大阪絵具染料同業組合設立の件、農商務大臣より認可。 | 参考・関係事項 | |
3月31日 | 川島敏男入店。 | ||
4月 | 小椋製薬所、大阪市東淀川区豊崎西通三丁目に設立、塩化第一錫、吐酒石の製造開始。 | 参考・関係事項 | |
5月1日 | 上野公園で我国最初のメーデー。 | 参考・関係事項 | |
6月25日 | 三木社長、阿波製紙株式会社社長に就任、昭和十三年六月歿時迄重任した。 | ||
7月1日 | 第四十三特別議会(―七・廿九) | 参考・関係事項 |