三菱鉛筆(株)『時代を書きすすむ三菱鉛筆100年』(1986.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
嘉永元年(1848) - 【渋沢栄一】このころ実名を美雄とする。後に伯父渋沢誠室の命名で栄一と改める。〔8歳〕 渋沢関係略年譜
1月13日 創業者真崎仁六、佐賀県佐賀郡巨勢村高尾に生まれる。 事項
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
- 玉川上水の吐水を利用、水車設置。真崎鉛筆発祥時の工場に利用さる。 社会情勢
- ウィーン万国博覧会開催―藤山種広、鉛筆製造技術の伝習を受け帰朝したと伝えられる。 社会情勢
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
- 真崎仁六、起立工商会社の社用を帯び、フィラデルフィア万国博覧会へ。 事項
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
- 第1回内国勧業博覧会開催。(於上野公園) 社会情勢
- わが国にはじめて鉛筆輸入される。 社会情勢
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
- 真崎仁六、起立工商会社の金属製品出品のためパリ万国博覧会へ―陳列された鉛筆の実用性に着目、帰国後鉛筆研究に着手。 事項
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
- 内国勧業博覧会に、井口直樹鉛筆を製造出品したといわれる。 社会情勢
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
- 真崎仁六、起立工商会社を辞し「真崎鉛筆製造所」を東京市四谷区内藤新宿1番地に設立。 事項
- 東京に初めて電灯がつく。 社会情勢
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
3月1日 特許法・意匠法・商標法公布。 社会情勢
- 真崎鉛筆製造所の下請工場、当時すでに都内に2、3カ所あり。 事項
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
- 逓信省の販路開拓に成功―局用鉛筆1号・2号・3号を納入する。 事項
- ウォルト・ディズニー生まれる。 社会情勢
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
2月27日 真崎仁六、逓信省に納入した3種の鉛筆を記念して「三菱」ブランド登録。(登録番号18865) 事項
4月1日 ライト兄弟飛行機発明。 社会情勢
8月22日 東京市内電車運転開始。 社会情勢
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
2月10日 日露戦争勃発。 社会情勢
- 輸入雑貨の大問屋・市川商店(日本橋室町)と販売提携。 事項
- 三井呉服店、百貨店「三越」となる。 社会情勢
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