(株)伊勢丹『伊勢丹百年史 : 三代小菅丹治の足跡をたどって』(1990.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
安政6年(1859) 6月 〔三越〕横浜開港につき幕命により横浜に呉服店開店 業界事項
- 野渡丹治(後の初代小菅丹治)、相模国円行村(現神奈川県藤沢市湘南台)に生まれる 当社事項
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
11月3日 〔松屋〕横浜に〓[○+正]鶴屋呉服店開店 業界事項
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
- 野渡丹治、本郷区湯島六丁目の伊勢庄呉服店に入店 当社事項
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
3月 〔三越〕三井大元方から分離、三越家名義で経営。店章を〓[○+越]と改正 業界事項
5月1日 〔丸井今井〕札幌に創業 業界事項
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
- 〔そごう〕大阪心斎橋に開店、大和屋を十合呉服店と改称 業界事項
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
11月1日 〔白木屋〕本建築完成 業界事項
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
- 初代丹治、神田区旅龍町の米穀商伊勢又、小菅又右衛門に入婿し長女華子と結婚 当社事項
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
4月27日 高橋儀平(後の二代小菅丹治)、神奈川県足柄上郡川村字岸(現 山北町岸)に生まれる 当社事項
- 細田半三郎、伊勢庄呉服店に入店 当社事項
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
7月25日 〔そごう〕京都仕入店開店 業界事項
- 〔岩田屋〕初代喜兵衛、博多店を譲り受け独立自営 業界事項
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
10月1日 〔白木屋〕洋服部開瓦英国アーサーデービー商会と契約 業界事項
11月5日 初代丹治、神田区旅龍町二丁目に伊勢屋丹治呉服店を創業 当社事項
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
1月17日 皇后洋装奨励の思召書下付。上流婦人の洋装広まる 一般事項
5月 〔高島屋〕大阪出張仮事務所開設 業界事項
- このころ、裏地と浴衣地の自家生産開始 当社事項
- 商家で鳥打帽子使用 一般事項
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
1月8日 〔三越〕駿河町に三越洋服店開店 業界事項
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