※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月1日 | 〔松坂屋〕上野店東館増築完成 | 業界事項 | |
- | 北海道室蘭母恋に支店開店、数百町歩の農場も経営(大正10年 閉店) | 当社事項 | |
- | 地方の銀行、醸造家、米穀肥料商、料亭、旅館等を対象に通信販売開始 | 当社事項 | |
- | 〔高島屋〕大阪店図案部設置 | 業界事項 | |
- | 〔そごう〕妊産婦育児用PR誌『母子草』創刊 | 業界事項 | |
- | 前髪を七三に分けた女優髷流行 | 一般事項 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月20日 | 東京大正博覧会に出品(~7.31) | 当社事項 | |
3月20日 | 東京大正博覧会開催(~7.31、入場者746万2906人) | 一般事項 | |
4月1日 | 〔松坂屋〕上野店陳列館新築完成 | 業界事項 | |
7月28日 | 第1次世界大戦勃発 | 一般事項 | |
8月15日 | パナマ運河開通 | 一般事項 | |
9月15日 | 〔三越〕日本橋店ルネッサンス式新館完成。ライオン像、日本初のエスカレーター設置 | 業界事項 | |
10月 | 〔大丸〕大阪店、洋式改装。大阪初のショーウインド設置 | 業界事項 | |
12月20日 | 東京駅開業 | 一般事項 | |
- | 外売りを3区増設し、12区制とする | 当社事項 | |
- | 〔高島屋〕竹内栖鳳考案の模様を栖鳳絣として売出す | 業界事項 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月4日 | 東京株式市場暴騰、大戦景気始まる | 一般事項 | |
- | 〔大丸〕大阪店、大福帳式を簿記式に改める | 業界事項 | |
- | カフェ女給の白エプロン姿始まる | 一般事項 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 福助足袋会社、初めて宣伝用アドバルーンを揚げる | 一般事項 |