※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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延享5年(1748) | - | 伏見江戸町に別荘観瀾亭(後の慶雲庵)をつくる | 大丸 |
寛延3年(1750) | - | 新唐書板行出版はじまる | 大丸 |
寛延4年(1751) | - | 大阪堂島に北店を開く | 大丸 |
- | 江戸大伝馬町の呉服仲間で組織した「白子組」と同町内木綿問屋仲間の間に紛争起こる | 国の内外 | |
宝暦2年(1752) | 9月22日 | 第二代正甫没(四十歳)、長子兼保第三代を継ぎ、正周、看坊職(後見役)に就く | 大丸 |
- | 正竹、正周によって業祖遺訓諸録の「主人心得之巻」まとまる | 大丸 | |
宝暦4年(1754) | 8月 | 江戸で繰綿問屋株を買取る | 大丸 |
宝暦5年(1755) | - | 江戸店、第二回敷地拡張 | 大丸 |
宝暦7年(1757) | 7月22日 | 第三代兼保没(十四歳)、弟素休第四代を継ぐ | 大丸 |
- | 江戸店、松平定信の産着を調製、子育産着の名で市中にも広まる | 大丸 | |
- | 江戸深川に木場別荘をつくる | 大丸 | |
宝暦9年(1759) | - | 京都寺町御池の金物店富士屋を買収 | 大丸 |
- | 京都東店を東洞院押小路に設ける | 大丸 | |
宝暦10年(1760) | 2月6日 | 江戸大火四百六十町を焼き、江戸店類焼 | 大丸 |
宝暦11年(1761) | 12月 | 十二月から幕府蔵米対策として、三回に亘り大阪三郷の富商二百五名に百七十万三千両の御用金令 | 国の内外 |
- | 大阪店、御用金五千両仰付けられる | 大丸 | |
宝暦12年(1762) | 10月7日 | 名古屋店類焼 | 大丸 |
宝暦14年(1764) | - | 正啓十七回忌に祠堂を海宝寺に建てる | 大丸 |
明和2年(1765) | - | 京都松原店を開き、下村源造、扇子地紙商を兼ね金物店をここに併設 | 大丸 |
明和3年(1766) | - | 京本家、烏丸通丸太町上ル西側に本宅を新築(敷地三千坪) | 大丸 |