(株)町田糸店『町田百年略史』(1965.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
3月 三月の空襲により、ビル内部まで火災に遭い、書類を始め社印一切焼失す。幸に店内にての死者はなかったが、社員の被災も多く、当分は営業の目途が立たなかった。とりあえず南品川邸内の町田報徳学舎を仮事務所とし、残務整理に当った。//当時残留せる社員は町田糸店十人、町田商事十四人であり、二徳商会では中山亀吉が戦災死した。 町田百年略史
7月 沼津千本松原の別荘も空襲に遭う。 町田百年略史
8月15日 日本降伏す。 社会事情
12月6日 徳之助妻幾久子病死。(五十六才) 町田百年略史
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
1月 財産税法公布。 社会事情
2月 預金封鎖。(新円の発行) 社会事情
2月 GHQに羊毛輸入の申請を行った。 社会事情
9月 オーストラリアで羊毛競売制度が復活した。 社会事情
10月 かねて焼跡の整理を急いでいたが、漸く十月に駒形にて業務を再開する。併し町田糸店は商品も少く、書籍雑誌等も販売した。 町田百年略史
11月 徳治長女寿枝子生まる。 町田百年略史
- 新憲法公布さる。//二十二年五月より施行。 社会事情
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
4月 労働基準法公布。 社会事情
8月 民間貿易再開。 社会事情
9月 衣料配給規則更改さる。 社会事情
10月 独占禁止法制定。 社会事情
- 八十二才。老令にも不拘、糸店・商事の再建、町田学園の戦後の方針等につき努力し、又吉原市へも度々赴いた。 町田百年略史
昭和23年(1948) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 渋沢関係略年譜
12月 経済安定九原則を発表。 社会事情
- 徳之助は町田糸店社長を徳治に譲り、会長となる。 町田百年略史
昭和24年(1949) - 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 渋沢関係略年譜
- 単一為替レート法実施。(一ドル 三六〇円) 社会事情
- 東洋レーヨン、ナイロンの生産を始める。 社会事情
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