※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 上毛繭糸改良会社設立。 | 社会事情 | |
6月22日 | 初代徳之助(四十才)原六郎氏等と東京貯蔵銀行を始め取締役となる。我国貯蓄銀行のさきがけである。 | 町田百年略史 | |
- | 二代徳之助(十五才)は引続いて京都に奉公中であった。 | 町田百年略史 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月15日 | 聯合生糸荷預所が開業。 | 社会事情 | |
- | 初代・二代は同道して東海道を下り東京に入る。 | 町田百年略史 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 日本銀行設立。 | 社会事情 | |
- | ウエストンに依り一種の人絹糸の製造が成功。 | 社会事情 | |
- | 二代徳之助(十六才)は未だ京都で糸業の見習に努めた。 | 町田百年略史 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ゼグナー、スワン等の人絹糸の一種の発明。 | 社会事情 | |
- | 初代四十三才、二代十八才。 | 町田百年略史 | |
- | 二代徳之助は金閣寺の禅僧等と往来し漢詩の勉強など。 | 町田百年略史 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | シャルドンネ(フランス)は七ケ年の苦心で人絹糸の連続糸条の作出に成功。 | 社会事情 | |
- | 二代徳之助(十九才)京都より帰京す。//この頃より禅学に入門。 | 町田百年略史 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 日本銀行始めて紙幣を発行。 | 社会事情 | |
- | 初代徳之助らの東京貯蔵銀行は資本金を五万円に増資した。(同銀行は昭和十一年第百銀行と合併、更に現在の三菱銀行に発展した。) | 町田百年略史 | |
明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月16日 | 初代徳之助死去、四十八才。清行院浄誉義天居士とおくり名し浅草橋場の保元寺に葬る。 | 町田百年略史 | |
3月 | 二代は三月に家督を継ぎ徳之助と改名。先代の命日は終生記念日とし店員親族を集めて供養を怠らず。(現在も同じ) | 町田百年略史 | |
- | 枢密院開設。 | 社会事情 | |
- | 倉敷紡績が出来た。 | 社会事情 | |
- | 二代徳之助東京糸問屋組合頭取に推され明治三十二年までその任に当りその後は顧問であった。 | 町田百年略史 |