(株)町田糸店『町田百年略史』(1965.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治44年(1911) - 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 渋沢関係略年譜
- 二代(四十六才)不動産、有価証券の管理、金融の仲介、土木建築の設計等を目的とする(株)二徳商会を設立した。社長二代徳之助、取締役に弟藤掛与左エ門、義弟町田徳蔵、石井種一郎等で資本金百万円、事務所を町田糸店階上に置く。 町田百年略史
明治45年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
7月 原六郎氏が当時ピンチにあった富士製紙(株)の社長になったが、病身のため代理として二代徳之助が大正三年末までその職を代行した。//後同社は昭和四年に王子製紙に合併されたが、大川平三郎、穴水要七などの人々が活躍した。 町田百年略史
大正元年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
8月 明治天皇ご逝去、大正天皇の代となる。 社会事情
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
3月 二代(四十八才)長崎から東洋汽船天洋丸に乗船、町田洋行の視察、横浜正金銀行の要務を兼ね上海に赴く。四月末帰京したが、この行で孫逸仙(孫文)、黄興、載天仇等の支那革命軍の壮士と同船、共に撮影したりして誼を通じた。 町田百年略史
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
8月 第一次世界戦争始まり、日本も青島(ちんたお)に出兵した。 社会事情
- 泰逸三氏が米沢人絹糸製造所を設立した。(ビスコース法による) 社会事情
- 東洋紡(株)創立さる。 社会事情
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
- 二代(五十才)嵯峨公勝侯爵の長女幾久子(二十六才)と結婚。 町田百年略史
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
6月12日 二男徳治生まる。 町田百年略史
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
6月 東京艶糸(株)を静岡県富士郡吉原町(現在市制)に興し社長となった。重役には渡辺定二(現地の人)、町田徳蔵、藤掛与左エ門、瓜生久吉(町田糸店支配人)木村才次郎(現地の人)等で資本金百万円、電線コード被覆、製紐、たたみ縁などの製造。戦後一時製紙に転換したが昭和三十年解散。 町田百年略史
- 三男敬三生まる。 町田百年略史
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
6月 帝国人絹がビスコース法による人絹製造を始めた。 社会事情
11月11日 第一次世界戦争はドイツの降伏で終る。 社会事情
12月26日 二代(五十三才)十二月二十六日を以て町田糸店を株式会社に改め、重役は社長徳之助、常務大川直久、取締役に町田徳蔵、瓜生久吉、小野千吉、監査役宮崎慶太郎(八王子の人)、野々口貞一郎で資本金百万円、株主二十三名。 町田百年略史
- スキー毛糸が藤井商店より発売された。初年度は十五色。 社会事情
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
1月 町田糸店の第一回総会、四月臨時総会を行い、以後は六・十二月を決算とした。 町田百年略史
- 二代(五十四才)人造絹糸が盛になることを確信し、益々研究しようと決心した。 町田百年略史
- 四男純生まる。 町田百年略史
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
- 渋沢栄一氏子爵となる。 社会事情
- 二代(五十五才)次弟藤掛与左エ門をヨーロッパに赴かせ、ドイツ、イタリー等の人絹糸事業の視察に当らせた。 町田百年略史
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