(株)町田糸店『町田百年略史』(1965.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
- 二代徳之助東京貯蔵銀行監査役となる。又この頃より小町糸の製造販売に着手。多分博覧会に出品せるものと思う左の宣伝文が残っている。//○絹紡績 密針用 小町糸説明//本糸は線縷円滑にして毫も錯節無く且つ其色沢美麗なるを以て彼の小町姫に比し其名を仮りて之に名く//本糸は明治廿年の頃上州新町三井紡績所に謀り(註―今の鐘紡の新町工場である)創て普通手縫用糸を製し 爾来其製方に理化学を応用し同廿五年更に密針用(註―ミシンのこと)に適する本糸を製出せり 是即ち今回の出品にして該紡績所と特約せる弊舗の一手販売品なり//本糸の原料は上州新町三井紡績所製にして 其理化技術に至りては則ち弊舗の考究に係れり 而して其成績は左の如し//一、弾力強力の点に於て本練絹糸と比較して劣らざること//一、線縷円滑にして毫も錯節等之なきこと//一、色沢美麗にして一見本練絹糸に異ならず且つ日を経るも更に褪色損質等の憂なきこと//一、価格は最も低廉にして本練絹糸の半額に相当すること//一、使用上極めて軽便にして繰返し等の手数を省き直に使用し得ること//其要領前記の如し 是を以て其販路の若き海の内外を問はず日に四方の賞賛を博し 月に江湖の愛顧を増せり 夫れ経済上の便益たる其物精良にして世用に適し且つ其価の廉なるを主とす 弊舗夙に茲に見るあり 多年焦思終に本糸を創製し 尋て之を米国某商会に輸り 幸に又高評を得 爾来陸続購求せらるるに至る 抑も本糸の種類夥多なりと融も場内狭隘にして悉く陳列するを許さず 茲に二・三の標本を択出し以て諸彦の高評を仰ぐこと爾//明治二十八年四月//(原文のまま) 町田百年略史
明治23年(1890) - 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 渋沢関係略年譜
11月 帝国議会が始まる。 社会事情
- 教育勅語下賜さる。 社会事情
- 二代(二十五才)東京貯蔵銀行支店を厩橋の店舗の隣に新設した。(現在の東京厚生信用組合店舗の場所) 町田百年略史
- 五回目の火災に罹る。 町田百年略史
- 日本メリヤス(株)を創立、監査役となる。(後に相談役、明治二十九年解散) 町田百年略史
明治24年(1891) - 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 渋沢関係略年譜
- フランスのシャドウによる人絹工場が出来、又イギリスではクロスビーら三人がビスコース法の人絹を発明した。 社会事情
明治25年(1892) - 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 渋沢関係略年譜
5月 二代(二十七才)群馬県新町の内田氏の女せいと結婚。 町田百年略史
- 伊藤忠商事が創業した。 社会事情
明治26年(1893) - 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
9月 二代(二十八才)祖母みの(秩父山口氏の出)死去、八十五才。 町田百年略史
- 上州富岡製糸工場(官営)は三井に払下げ。 社会事情
- 金亀糸業創業。(栗田糸店) 社会事情
明治27年(1894) - 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
- 日清戦争起る。 社会事情
- 二代(二十九才)千住馬車鉄道(株)の整理に着手、七年間その管理に当り社長となる。 町田百年略史
明治28年(1895) - 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 渋沢関係略年譜
- 日清戦争終り下関条約結ばる。 社会事情
- 生糸検査所官制公布。(七月)横浜生糸検査所が設けられ二十九年五月から仕事が始まった。 社会事情
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
1月 富士紡績(株)はこの年一月創立総会を催したが、発起人十七名中に加わった。外に渋沢栄一、原六郎、森村市左エ門各氏の名あり。当時資本金二百万円。 町田百年略史
- 大東紡織(株)創立。 社会事情
- 二代(三十一才)八王子、東京、横浜、神戸などの蚕糸取引所の創立に参画し、又内国勧業博覧会その外の審査員となる。 町田百年略史
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
- 二代(三十二才)東京商業会議所の議員に当選、以後昭和四年まで毎期再選、その間常議員を八年勤めた。 町田百年略史
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