(株)松屋『松屋百年史』(1969.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
元治元年(1864) - 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 渋沢関係略年譜
- 幕府、横浜への生糸回送を停止 一般
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
10月14日 将軍徳川慶喜、大政奉還の上表提出 一般
12月9日 王政復古の大号令発布 一般
慶応4年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
1月 初代古屋徳兵衛、江戸・横浜間を往復して呉服の仲継業を開始(二十歳) 松屋
3月14日 五箇条の御誓文ならびに国威宣揚の宸翰発布 一般
4月11日 江戸開城 一般
5月30日 「商法大意」布達(問屋株を廃止) 一般
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
9月8日 明治と改元 一般
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
1月 早矢仕有的、丸屋商社(丸善の前身)を創業 業界
2月 初代古屋徳兵衛、甲斐国巨摩郡下教来石村長百姓牛山半左衛門(義長)長女とみ(満寿)と結婚(八月二十七日婚姻届) 松屋
3月28日 東京遷都 一般
6月17日 版籍奉還 一般
11月3日 初代古屋徳兵衛、武蔵国久良岐郡横浜石川口(現在の横浜市中区石川町九〇~九一番地)に(正)鶴屋呉服店を開業 松屋
11月 横浜吉田橋(鉄の橋)、英国技師アール・ヘンリー・ブラントンの設計で鉄製釣橋に改築(わが国鉄橋のはじめ) 一般
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
5月 横浜石川口の商家として次の三軒を記録(横浜市史稿・産業編)//滝野屋 鉄五郎 製箱業//鶴屋(古屋)徳兵衛 呉服商//常盤屋 源次郎 材木商 松屋
10月15日 牛山武兵衛(初代徳兵衛夫人満寿弟)入店 松屋
10月 古屋金兵衛(初代徳兵衛弟)入店 松屋
- 「日の丸」を国旗に制定 一般
- 京浜間電信開始 一般
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
5月10日 新貨条例公布、一両を一円と改称 一般
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