※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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天保8年(1837) | 8月9日 | 早矢仕有的美濃国武儀郡笹賀村に生れる | 社内事項 |
嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月3日 | ペリー浦賀へ来航[1872年以前の国内事項については陰暦を使用。] | 国内・国外事項 | |
嘉永7年(1854) | 3月3日 | 日米和親条約(神奈川条約)調印 | 国内・国外事項 |
- | 早矢仕有的名古屋で医学の修業を終え帰郷 | 社内事項 | |
安政5年(1858) | - | 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月19日 | 日米修好通商条約(下田条約)及貿易章程調印 | 国内・国外事項 | |
9月7日 | 安政の大獄始まる | 国内・国外事項 | |
10月 | 福沢諭吉築地鉄砲洲に蘭学塾を開く(慶応義塾の前身) | 国内・国外事項 | |
安政6年(1859) | 9月 | 早矢仕有的医学修業のため江戸へ出る | 社内事項 |
万延元年(1860) | 1月13日 | 幕府の軍艦咸臨丸米国へ出航(福沢諭吉随行) | 国内・国外事項 |
3月3日 | 桜田門外の変 | 国内・国外事項 | |
6月 | 早矢仕有的日本橋橘町に於て医師を開業 | 社内事項 | |
文久2年(1862) | 4月12日 | 米国南北戦争勃発 | 国内・国外事項 |
8月21日 | 生麦事件起る | 国内・国外事項 | |
9月11日 | 幕府留学生榎本武揚ら11人オランダへ出発 | 国内・国外事項 | |
- | 早矢仕有的両国薬研堀へ転居 | 社内事項 | |
文久3年(1863) | - | 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月2日 | 薩英戦争起る | 国内・国外事項 | |
- | 早矢仕有的旗本諏訪新吉郎の妹なをと結婚 | 社内事項 | |
元治元年(1864) | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月5日 | 英米仏蘭四国艦隊下関を攻撃 | 国内・国外事項 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月12日 | 早矢仕有的慶応義塾に入塾、本所番場へ転居 | 社内事項 | |
4月 | パリ万国博覧会開催 | 国内・国外事項 |